戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 山里栄昭氏
5.苦い思い出
- 聞き手A
- 何か、苦い思い出がおありということで。
- 山里先生
- あ、はい。あ、この話ししましょうか。これはですね、まあ三つ、いまちょっと挙げてあるんですけれども、一つは、えー、さっき言った、この相撲取りだ、相撲だとか、あるいは、まあレスリングみたいなかたちのものですよね。そういうもので、たまたまうちの近くに、この、目の不自由な、まあ、いまで言うと、まあ、まあ、まあ昔で言うとめくらって言うんですけども、この家庭の子どもと、まあ遊びでですね、遊びで取っ組み合いをしたことがあるんです。
- で、そのときに、えー、まあ、時分は、あの時分はもう着物ですので、着物の袖ですね、ここが、もう引っちぎられて破けたんですよね。そしたら、そのおやじさんがうちに来て、やっぱり文句、文句を言ってですね、何でうちの子どもをこんないじめるか。
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やっぱり障害者の家庭でしたので、何かそういった面で、いろいろあれがあったんでしょうね。まあそれで、まあよろしいということで、うちの姉が、その破けたものを全部縫って返したという事件が一つありました。
- 稲福先生
- それは何年ぐらいのことですか。何歳ぐらい。
- 山里先生
- ええと、小学校の、たぶん3、4年だと思います。で、その子は、私より二つか三つぐらい下の子ですね。子でした。
それから、まあ2個目。
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もう私は、私は1年からずっと、あの、優等生だったんですが、3年に上がるときに、まあたまたま、じゃあ次も優等生になったら新しい服を買ってやるというふうに、まあ、うちで言われてですね、あの、いたんですけども、ちょうどその前日に大雨が降って、まあ石垣まで行かんといけない、買いに行けないもんですから、えー、じゃあもうあとでって、みたいなことを言われたもんで、もう自分は怒って、いや、もう絶対それはならんと言って頑張ったようです。そういう頑固なところがあって、結局まあそれで折れて、これもみんな姉が、また石垣まで行って服を買ってきてくれたようです。
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まあ、最後のが一番、のものが、これも、これもまたちょっと面白い話なんですけどもね。まあ戦争とも関係があって。
うん、そうですね。ちょうど私より二つか三つぐらいの、の者ですけれども、そのおやじさんは、えー、まあ兵隊に徴兵されて、あ、まあ軍に、まあ。南方のたぶん、あとで聞いたらガダル、ガダルカナルあたりに行っていたようですが。まあそれで、一人息子なんですけどね、で、実家がうちのすぐ隣だったんですよ。
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で、まあ実家に来て、息子二人と一緒に生活していたんですがね。で、やっぱり、まあ夫が出征してるっちゅうようなこと、で、一人息子がいるということで、まあ非常にかわいがっていたんですよね。
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まあ、かわいがるのはいいんですけれども、またそのぶん、いろんな過保護みたいな、まあ制約みたいなものもあってですね。で、子どもはそれに、また反発をしていた。ずっと私もついて遊んでいた子なんですけどね。
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で、あるとき、まあどっちから先だったか分かりませんけれども、まあ母親に反抗するというかたちで、まあ、ちょっと芝居みたいなものをやったんです。
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で、私が、家、うちの縁側に、じゃあ縁側に隠れろと言って、縁側に、まあ隠れさせたんです。で、もう日も暮れて暗くなって、うちに帰らないもんだから、もうそれこそ心配して、大騒動になって、部落が。部落全体も海に捜したり、あっちこっち捜して、もう私にも、たぶん私が知っているはずだからといって、いろいろ言うけど、私も知らん振りして「知らん」とはねつけていたんですよね。
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まあ、それが何時間ぐらいかな。もうそれこそ本当に大騒動して、もう、もういいだろうと思って、床下から彼を出して帰したんですけどね。まあ、ずいぶん絞られました、二人とも。だからそういう、まあこれも一つの戦争の、まあ犠牲と言えばね、犠牲みたいなもので、いま考えるとそういうふうに、まあ、とってもいいような事件かなというふうに考えております。
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で、そのおやじさんは、まあ戦後、無事に帰ってきております。ガダルカナルから帰ってきたんだそうです。だから、ずいぶん激戦地に行っていたということなんですよね。まあ、そういうこともありました。
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