戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 山里栄昭氏
3.八重山中学校の頃 (1)八重山中学校の入学式
- 山里先生
- で、6年生になりますと、中学への試験がありましたので、えー、八重山は八重山中学ですね。旧制の中学がありましたので、えー、まあそこに、大浜集落からは私一人、それから先輩で一人合格しました。それから、平得と真栄里からは、それぞれ一人かな。結局、私たちのクラスからは3名が、えー、中学校に、まあ進学したということになります。
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で、えー、まあ中学には進学したんですけれども、ちょうど入学式の日にですね、えー、艦砲、あ、艦砲じゃなくして、えー、艦載機からの襲撃を受けました。ちょうど教育勅語を校長先生が読んでいるときだったと思いますが、ダダダダダダーンという機銃しょう、掃射ですか、のものがありましたので、えー、配属将校をしておりました、当時、高良鉄夫先生が、「みんな伏せろ」と言って、えー、地面に伏せて、それから、まああちこち木の下に隠れるとかしました。
- まあ幸い、えー、まあけが人は、まあ出なかったんですけども、式はもうそのまま中断して解散したわけです。
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その後、私たちは、中学生は、鉄血勤皇隊ですね。まあ鉄血勤皇隊と言っておりましたが、それに動員されまして、えー、まあ私たち1年生は、まあ、鉄砲こそ担がなかったんですけれども、上級生は、えー、兵隊と一緒に、まあ戦闘態勢の状態で、えー、配属されております。主に通信関係のものに従事していたかと思います。
- で、私自身は八重山農林高校に配属、配置されまして、まあそこで兵隊の食糧づくりをさせられ、さらに兵隊、将校の、まあ雑務ですね。そういったものに従事しました。
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