戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 山里栄昭氏
1.山里栄昭先生の生い立ち
- 稲福先生
- では、山里栄昭先生をお迎えして、沖縄の戦中・戦後のこどもの視点でのデジタル・アーカイブの収録ということで、本日は岐阜女子大学の眞喜志さん、それから照屋さんに聞き手として入っていただきます。では先生、よろしくお願いいたします。
- 山里先生
- えー、それでは、まず私自身の経歴を簡単にご紹介します。私は父・山里長敬、母・クイタの8人きょうだいの一番末っ子として、あの、大浜町字大浜で、あの、生まれております。えー、姉が5人、それから兄が、まあ3名の一番下でございます。ただ、実際にうちで一緒に過ごしたのは、まあ5名で、あとの残りの方は、もうすでに嫁いでおりました。
- その中でも、特にまあ、私で親しくしていたのは、私のすぐ上の兄と、それからもう一つ上の、まあ兄。で、一番その姉から、まあ、いろいろ勉強その他を、まあ、教わりました。
- で、きょうだいの中で、えー、まあ小学校から高等教育を受けたのは、えー、3番目の長子(ますこ)姉。で、彼は、あ、彼女は沖縄の工芸高校、あ、工芸学校に行きました。で、その次は、その、私の上の上の姉。これが農林高校に行っております。
- で、私は、まあ経済的には、本来は上の学校に行ける家庭的な状況ではなかったんですけれども、終戦直後、契約学生という制度がありまして、えー、ちょうどその制度に乗って、まあ試験が受かりましたので、横浜国立大学に進学いたしました。
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まあ、このように、石垣での家庭状況というなのは、まあ上の学校、つまり高等教育を受けるような状況下にはなかったというのが、まあ普通の家庭だと思います。
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