戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 山里栄昭氏
4.日常の生活・日課 (4)空襲・蛸壺
- 聞き手A
- 質問なんですけれども、あの、小学校のころ、例えば学校の先生とか周りの大人から、あの、先生ちょっと、あの、戦争の話になるんですが、あの、敵兵については、あの、どのようなものだというふうに教えられたりとかはしたんでしょうか。
- 山里先生
- あー、直接、たぶん教えられていたとは思うんですけども、あんまり覚えていないんですけれどもね。まあ、鬼畜米英みたいな、あー、言葉は、まああの時分から覚えておりました。
-
それに、あの、空襲。飛行機でですね、飛行機が撃墜されて米兵が捕まったというのも、そういう事件もありました。それから、大浜の集落のですね、いまのその小学校の前に、えー、戦車壕っちゅうのか、こんな大きな溝をつくってあるのがあったんですけどもね。
- それはアメリカが上陸して戦車が来たら、そこに陥れるというふうな、まあ、いま考えると本当に幼稚なものなんですけれどもね、そういうふうな壕もつくってありました。
-
で、蛸壺(たこつぼ)というようなのは、まあ知ってるとおりですね。あちこちにありましたよ、蛸壺が。それから壕も、まあ戦争中はすぐ近くに、えー、大きな津波石って、うちの集落の近くに津波石っていうようなのがあるんですけれども、それの下にですね、えー、穴を少し大きくして、えー、まあ私たちの家族、そうですね、2、3所帯ぐらいは、えー、激しい空襲、空襲などのときは、そこに避難していたこともあります。
- 聞き手B
- 以前お話を、あの、伺った仲本先生のお話は、あの何か、米軍の兵隊さんからお菓子をもらったりとか、何かいろいろ、また米軍さんとの、また思い出もあったみたいなんですけど、石垣島では上陸。
- 山里先生
- 石垣では、もうそういう。上陸してませんのでですね。
- 聞き手B
- 上からのも、ないんですよね。
- 山里先生
- はい。それはなってないですね。まあ、終戦後はあの、進駐軍が来ておりましたんですけどね。でも、子どもたちとのそういう、本島での話みたいなものは。
- 聞き手B
- もうまったく。
- 山里先生
- なかったですね。
- 聞き手B
- ああ、そうなんですね。
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