沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(山里栄昭氏)


戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
山里栄昭氏

3.八重山中学校の頃
(2)マラリア蔓延

山里先生
たまたま6月に稲刈り休みっちゅうなのがありまして、10日間の稲刈り休みがありまして、えー、まあ、そのときには、もうすでに家族は於茂登のふもとに避難し、避難小屋をつくって、まあそこに、まあ避難をしていたわけなんです。
えー、そんで於茂登に、の避難所に行きまして、まあ帰りましたんですが、そこはちょうどマラリアの、もうマラリアの蚊の媒介するところでしたので、えー、まあ、みんなもすぐにマラリアにかかっていたということです。で、私も休暇で、まあ帰ったんですけれども、マラリアにかかって、結局、まあ部隊には帰れずに、まあ終戦を迎えたということになります。
で、その間、避難所から戻りましたが、おば、うちのおばあさんがやはりマラリアで亡くなりました。それから、まあ姉も、まあ農林を卒業して、看護婦として、えー、まあ勤めていたんですけれども、え、終戦後は宮良の小学校の教員をしておりましたが、えー、マラリアが再発して、結局亡くなりました。ですから家族からは、マラリアで二人が、まあ犠牲になっております。
えー、大浜の集落でも、私の知っている方でも一家全滅ですね。一家全員マラリアで亡くなった方もおられます。えー、まあ石垣では沖縄本島と違いまして、実際の戦争、戦闘で、まあ爆撃その他で、えー、命を失った方はいない、まあ少ないんですけれども、マラリアでほとんどが犠牲になって亡くなったという状況でした。
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【参考資料】

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