高山デジタル・アーカイブ
高山の産業

飛騨の養蚕業

山に囲まれた飛騨地方は、耕地面積が少なく、古くから養蚕業が盛んであった。
江戸時代になると養蚕のため桑市が開かれるようになった。これが現在の朝市の起源である。
明治時代に入ると政府の殖産興業の方針により、各地で養蚕・製糸業が発展。高山にも多くの製糸工場ができたという。またこの頃、飛騨の娘たちが製糸工女として、岡谷(長野県)へ出稼ぎにいくようになった。
現在、飛騨で養蚕業は見られないが、当時白川郷で使用された道具は飛騨民俗村・飛騨の里で展示されている。
(飛騨地方全体に養蚕業が広がっていたが、白川郷などの合掌造り集落では、建物の構造上、蚕を飼うのに最適な環境であったため、特に養蚕業が発展した。)

飛騨民俗村 飛騨の里
蚕の成長過程 展示
飛騨民俗村 飛騨の里
旧西岡家住宅
飛騨民俗村 飛騨の里
旧西岡家住宅 案内板
飛騨民俗村 飛騨の里
旧道上家住宅 案内板
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