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山に囲まれた飛騨地方は、耕地面積が少なく、古くから養蚕業が盛んであった。 江戸時代になると養蚕のため桑市が開かれるようになった。これが現在の朝市の起源である。 明治時代に入ると政府の殖産興業の方針により、各地で養蚕・製糸業が発展。高山にも多くの製糸工場ができたという。またこの頃、飛騨の娘たちが製糸工女として、岡谷(長野県)へ出稼ぎにいくようになった。 現在、飛騨で養蚕業は見られないが、当時白川郷で使用された道具は飛騨民俗村・飛騨の里で展示されている。 (飛騨地方全体に養蚕業が広がっていたが、白川郷などの合掌造り集落では、建物の構造上、蚕を飼うのに最適な環境であったため、特に養蚕業が発展した。)
▼高山の生活文化 「茅葺き民家」
▼高山の生活文化 「朝市」
▼高山の生活文化 「草木染め」
▼高山の歴史 「野麦峠」
▼観光 「飛騨民俗村 飛騨の里」