人類の無形文化遺産-組踊- 宮里祐光氏
6.能や歌舞伎の影響
- 薩摩侵攻後、琉球の役人は、江戸や薩摩に行くために頻繁に大和を訪れます。旅の途中、各地で音楽や芸能を披露してまいります。文人とも交流を深め、能や歌舞伎などの、いわゆる大和芸能を鑑賞しています。
- 玉城朝薫も7回大和を訪れたという記録がありますけれども、やはり大和の芸能を鑑賞し、あるいは踊りなども披露したという記録が残されています。
- 大和文化に触れた彼らが、大和文化の素晴らしさに衝撃を受けたということは想像できますね。そのことがその後の琉球の芸能に新しい風を吹き込んだと言ってもいいでしょう。
- このような歴史的な背景の下で、玉城朝薫は琉球古来の芸能や故事を基調にして、大和芸能や中国戯曲にヒントを得て組踊を創作しました。
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