沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の世界遺産

首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

1.私の琉球史探求


首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

1.私の琉球史探求
(6)琉球王国の実態を検討する

まず、この地図を見ていただいたのは、要するにこの島々で一番大きな島が沖縄島、あるいは沖縄本島という島で、皆さんはその那覇市にいらっしゃるわけですけれども、この那覇市にある首里城というお城を中心にして、かつてこの島々を支配する体制があったということです。
べつに歴史の知識がなくても、こういう地図を見て、那覇市の首里にあった首里城というお城に王がいて、島々を支配するというのは、実は大変なことだと想像できます。
例えば、ずっと西南のほうに行きますと、宮古島という島があります。この沖縄島と宮古島の間の海域は、だいたい300キロメートル離れていますが、ここにはまったく島がないのですね。地質学者がケラマギャップと呼んでいる海域が横たわっておりまして、目印になる島がない。
そうすると、航海術が当然必要です。目印のない海で、自分の目指す方向に船の針路を間違いなくキープするためには、優れた航海術がなければこの海域を越えられません。
そして、宮古島にやっと達すると、台湾の手前までの、与那国島までの島々が展開すると。こういった島々も含めて首里城の王は支配していますから、当然、支配の前提にあるのは、優れた船を持っていなければならない。安全に船を操縦する航海術、航海に関する知識が必要です。そういったものをどのように蓄えながら、首里城の王は支配していたのかという問題を考えなければならない。
さらに言いますと、船で行ったり来たりできる技術、条件が整ったとして、では具体的に島々の土地や人民というのでしょうか、人々をどのように管理したのか。どんな役人を置いて、どのように税金を取っていたのかと。
この当時の人間たちは、当然現代人と違って、かなり精神性の高い人たちですから、さまざまな宗教というものがあります。そういった宗教的な問題は、いったいどうだったのかと。1年を通じてどんな祭りを行っていたのか。
人々は首里城の王に支配されているだけではなくて、島々で生きていますから、暮らしていますから、1年を通じてどんな暮らしをしていたのか。そういった暮らしの中に、政治がどのように関与するのかといった問題などを考えるわけですね。
それがあって、琉球王国の実態を検討するという問題は、そういうさまざまな芋づる式につながった問題を一つ一つ確認しながら、それを解いていくという作業が、私の研究の一つだったということです。
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【参考資料】

「沖縄の世界遺産」

※資料随時追加予定