首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏
1.私の琉球史探求
(2)今日お話すること
- まず、私は大学の教師になる前は、大学を卒業しまして、沖縄県庁の中にありました沖縄史料編集所というところの職員になりました。その沖縄史料編集所というのは、県の教育委員会に付設された組織でして、沖縄の歴史や文化に関する史料を収集して、それを編集して、さまざまな史料集を出すというのが主な仕事でした。
- そのために、沖縄県内各地はもとより、他府県でありますとか、外国でありますとか、そういったところを史料を収集して歩くということを、10数年にわたってやっておりました。
- その後、1年間は沖縄県立博物館に勤めまして、博物館が持っている歴史資料を少し検討する、そして展示に生かしていくという作業をいたしました。
- それから、今度は県庁を辞めまして、この那覇市の隣に浦添市という市がありますが、そこの市立図書館の館長になりまして、6年間ですか。地域の小さな公共図書館だったのですが、そこで市民にいかに図書館サービスを定着させるかということを、職員と一緒に6年間やりました。
- それから、私がいま勤めています琉球大学というところに行きまして、そこで先ほど申し上げましたように、若い人たちと一緒に琉球史を勉強するようになったということです。
- 特に、25年前から首里城の復元というものが始まりまして、いま私の頭のたぶん3分の1は、首里城のことでいっぱいというぐらいに、首里城漬けの日々を過ごしています。
- 1992年という年は、沖縄が日本に復帰した20周年という節目だったのですが、その1992年の11月に、取りあえず中心部分は公開しましょうというスケジュールで復元をしてまいりまして、首里城の中心部分、だいたい首里城の建築空間でいけば50パーセントぐらいを復元して、一般に公開したということです。
- しかし、それで終わったわけではありませんで、その後も引き続き、着々と復元作業を進めておりまして、現在もやっております。あと5年かかるか、10年かかるか分かりませんが、まだ懲りずにやっているという状況でございます。
- 今日は、その首里城にかかわったことも含めて、皆さんにお話をしてみたいと思います。
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