沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の世界遺産

首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

3.首里城復元プロジェクト


首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

3.首里城復元プロジェクト
(8)復元メンバーの思い

そうやって首里城の復元というものに取り組んできた。われわれ中心になったメンバーたちの思いは、いろいろありますけれども、一つはまずこういうことです。
首里城は沖縄戦によって破壊された。沖縄戦では、当時の沖縄の人口の4人に一人、25パーセントの人が犠牲になったわけです。当然、命は助かったけれども、大切な肉親をたくさん失ったわけですから、皆悲しみをこらえて、悲しみを抱きながら戦後という激動の時代を歩いていくわけですけれども、そういう戦争で人の命が失われ、首里城のような文化遺産も破壊されました。
しかし、生きている人間たちが頑張れば、人の命は戻ってこないけれども、失った文化遺産を取り戻せるだろうと。つまり、戦争で失ったものを取り戻そうじゃないかというのが、一つわれわれの合い言葉だった。
二つ目は、この島がかつて琉球、あるいは琉球王国と呼ばれていて、500年にわたって首里城がその中心として存在していて、そこで政治や行政、アジアとの交流や、先ほど申し上げたように最高の芸能のステージがあり、沖縄の一番磨かれた文化がそこで発信されたということも含めて、文化の拠点でもあったわけです。
そういう歴史や文化の象徴としての首里城というものを、過去のためではなくて、過去にそういったものが存在したことを未来に伝えるために、首里城が必要ではないかと。
あるいは、沖縄の若い、次の時代を担っていく子どもたちに、皆さんが生まれて暮らしているこの島には、こんな歴史があるんですよということを、首里城を通じて問題意識を持って感じてもらえればいい。
あるいは、沖縄を訪れる県外からのお客さんや、国外からのお客さんにも、美しい海、観光リゾートだけではなくて、この島に首里城というお城を持つような歴史があったことを感じてほしい。アピールしてもらえる、そういう力にもなります。
ですから、戦争で失ったものを取り戻すということと、琉球あるいは琉球王国というものをアピールするために、首里城が必要なのだという思いで取り組んできましたし、いまもそうですし、これからもしばらく取り組んでいくことになるだろうと思います。
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【参考資料】

「沖縄の世界遺産」

※資料随時追加予定