首里城の復元と沖縄の文化 高良倉吉氏
3.首里城復元プロジェクト (7)伝統的技術の回復と応用
- それから、その派手派手の首里城の色を誰が塗ったか。われわれにとって一番の難問の一つは、建物の壁や柱に、弁柄(べんがら)を中心とした、漆を混ぜたものが相当塗られている。実は首里城の復元のときに、弁柄や漆を首里城に使いすぎたために、日本の漆の値段がこんなに跳ね上がった。そんなこともありましたけれども。
- 調べてみたら、首里城の建物の塗装工事に参加したのは、私は資料をずっと見ていて見つけたわけですけれども、琉球漆器をつくっている職人さんたちだったのです。当時は貝摺(かいずり)奉行と呼ばれている、琉球漆器をつくる重要な拠点がありまして、そこの漆を扱う専門家たちが建築の塗装工事に参加しているのです。
- これは実は、驚くべき発見でした。なるほどと。普段は器に漆を塗る人間たちが参加していたのだと。ということは、この難しい問題は琉球漆器を見ればいいのだと。そこで県立博物館、隣の浦添市美術館に行って、彼らが日常的に漆を使って、どのように塗っていたかということで、みんなで漆を観察したのです。
- 下地をどうやってつくっていくのか。下地をつくって、上に1回目を塗ります。そして乾燥させます。またそれに2回目の塗りを加える。また乾燥させて3回目を塗っていきます。つまり、漆器と同じ手法で、実は建物の壁や柱が塗られていた。
- だから私たちはそのときも、首里城の建物というのは、要するに琉球漆器の化け物なのだと思ったのですけれども。つまり、琉球漆器を見ることによって、首里城の建物が分かるということでした。
- ですから、そのために漆器の専門家たちにも加わってもらって、まさにでかい琉球漆器をつくる作業をみんなでしてきたと。
- あした行かれますと、首里城はいま塗り替え工事をしています。もう10何年もたちましたから劣化していますので、その塗ったものが傷んだデータをちゃんと取っています。どういう原因で塗装が劣化したのか、何が問題だったのかということも検討した上ではぎ落として、さらに下地をつくって塗っています。たぶん、いま一番面白い塗り替え作業をやっていますので、面白い場面がご覧になれると思いますが、そんなことでした。
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