首里城の復元と沖縄の文化 高良倉吉氏
3.首里城復元プロジェクト (2)復元目標
- まず、どのレベルで首里城を復元するのかということが当然問題になります。
- 一番手っ取り早い方法は、アメリカ軍に破壊される前、戦争の前の首里城を復元すればいいじゃないかと。写真もたくさんあります。アメリカ軍が空から撮った写真もあります。一番楽ちんです。それから、戦争で破壊される前の首里城で遊んだとか、見学したという、首里城をたくさん覚えていらっしゃる方もいるわけですから、そういう点でいけば、戦争で破壊される前の首里城を復元するのが一番楽なのですが、われわれはあえてそのことを目的にしなかった。
- 当時、われわれは酔っぱらうといつも言っていたのですが、われわれがやろうとしているのは中古車を復元するのではないと。ぴかぴかの新車を復元しようと。つまり、首里城に王がいて、家来がいて、アジアとの交流の拠点になっていて、島々を支配する体制が息づいていたころ。つまり首里城が生きて呼吸している、現役であった、それをわれわれは新車と言い、その新車を復元するんだというように、われわれはよく言ったのですが、目標をそうしました。往時の首里城を復元するということです。
- そうすると、これは言うのは簡単ですけれども、誰も見たことがないわけです。何しろアメリカ軍が破壊する前の首里城というのは、王様が明治12年に首里城から出まして、軍隊の駐屯所になって、やがて学校に使われたりして、解体修理があってというように、実は元首里城、首里城跡というのが、その後続いただけの話です。
- それを明治12年の春、琉球王国がなくなる以前の状態に戻そうという、とんでもないテーマを掲げたわけですから、それがいかに困難であるかということは当然予想されたわけですけれども、それはたぶんわれわれの責任だろうと。ハードルを一番高くしておいて事業をしたほうが、はるかに多くのことが深められるのではないかという思いです。
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