沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の伝統文化

沖縄の獅子舞−浦添市勢理客の獅子舞を中心に− 宮里祐光氏

4.勢理客の獅子舞


沖縄の獅子舞−浦添市勢理客の獅子舞を中心に−
宮里祐光氏

沖縄獅子舞 参考資料

資料1 連南風原子ども獅子舞(うるま市)

勝連城の南側傾斜地に発祥したと伝えられている南風原区は、農業を営む条件が悪かった。約285年前、優れた指導者が、首里王府から移動の許可を取り付け、現地に村を移したころから村のムンヌキ(魔よけ)として獅子舞が踊られていたという。
魔物を表しているといわれるワクヤーを取り逃がした獅子は、激しく踊り狂う。木の上の魔物を威嚇するように仁王立ちする特徴がある。

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資料2 波平獅子舞(読谷村)

部落の邪気を払い、五穀豊穣と繁栄を祈願するため、旧8月15日に東門のアシビナーの舞台で踊られる。1790〜1800年ごろ伝来した。戦争によって焼失し、一時期途絶えていたが1945年、再建造された。
ワークヤーが踊りながら舞台を一巡したあと、腰に結んである帯を肩に掛けて獅子を誘い出す。

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資料3 上間獅子舞(那覇市)

首里王府から約300年前、拝領した勇猛な顔立ちの初代獅子と同様、額に王の文字が刻まれている。上間と識名は、首里王府から下賜された獅子一体を競争して取り合い、頭を取った上間が識名から胴体を譲り受けたという。
棒と獅子は一対で演じる。三線の伴奏に合わせて重々しく威厳をもち堂々と舞う点が特徴。旧8月15日の観月会は、獅子に対する報恩と祈願の祭事でもある。

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資料4 和宇慶の獅子舞(中城村)

200年ほど前から伝来したと言われる獅子は、集落の守護神。旧7月17日と8月15日に、区民の厄払いと健康祈願として演じられる。戦時中に焼失した獅子は、1956年に区民の協力によって復元された。
演舞は、まりと戯れる「犬の舞」と烏(からす)の行水のように跳んだり跳ねたりする「烏の舞」の2通りある。近年は、烏の舞が主流だったが、2004年に保存会が復元させた犬の舞を披露した。

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資料5 渡慶次獅子舞(読谷村)

獅子とガンは夫婦といわれ、1750年ごろにできたといわれる。渡慶次を象徴する獅子は、魔よけの神として集落民から親しまれ、伝染病が流行した時代に、悪病ばらい祈願のため、集落内を練り歩いたこともあった。伝染病や災厄から守る加護神とされている。尻をかくなどユーモラスな所と、目で相手を威嚇し近寄る者は食い尽くすしぐさなど、多面性をみせる。

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資料6 1719年“毬舞”再現会

1719年、琉球国王・尚敬王の冊封に際して来琉した冊封副使・徐葆光が著した「中山傳信録」に首里城で行われた冊封使歓待芸能「中秋宴」がある。2人の舞手と2頭の獅子が描かれた「毬舞」の挿絵を基に復元した。2006年に南城市で、07年には初めて中国で演じられた。
中国風の優雅な衣装やぼさつの舞、物語性を持った獅子の動きなど、ほかの地域にはない演技が見られる。南城市津波古獅子舞保存会と八重瀬町志多伯獅子舞・棒術保存会、琉球舞踊かなの会の3団体が共演する。

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資料7 天願獅子舞(うるま市)

約200年前に首里城下で御殿奉公をしていた若者が、中国からの冊封使歓待の御冠船踊りの獅子舞に魅了され、演技を習得して郷里に持ち帰ったところ、天願の長老に頼まれ伝授したのが始まりといわれる。
「天願棒」の棒術で露払いを行い、カリーをつけた後、獅子が登場。ひもをくわえて仁王立ちし一回りする技は威厳があり周囲を圧する。

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【参考資料】

「沖縄の伝統文化」

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