5.どんな人たちが生活していたのか
(石川収容所に)来た人たちも、(沖縄の)あっちから来た、こっちから来たとバラバラでした。私が一番(最初に)思ったのは、言葉がまず違うということ。私は那覇で住んだり恩納村に住んだりしていますけど、(言葉は)割と標準的なんですね。ところが、津堅だとか糸満だとか、ヤンバルのところから来た人たちの言葉というのは、僕たちが解らんのが多いんですよ。彼等がべらべらべらとしゃべると、解らんわけですね。これからすると、いかに(収容所に)沖縄のあちこちの人が集められたかということが分かりますね。
そして、境遇もみんな違うんですね。例えば、怪我をして連れて来られた人、自分達で出てきた人、鉄砲を向けられて出てきた人と、いろんな人がいたんですが、私の場合は、結局自分で出てきたんですね。