戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
4.再び山田国民学校へ (4)昭和20年10月10日の空襲
- 仲本先生
- それではですね、えっと、この話をちょっとしたいと思うんです。
- 十・十空襲の話、したんですが、そこにこう、要するに私たちの家族が転がり込んでいくわけですね。ヌンドゥンチに。そのヌンドゥンチというのが、要するに母の実家になってましてね、その山田という村の中で、ノロがおったとこですね。唯一ノロがおって、そしてその、昔はそのノロがね、何か政治的にも、あんな、いろんな司祭をするのに、あー、大事なところだったらしいんです。
- そして、代々そこの女の子がノロとしてつ、継ぐということであるんですが、うちの母のころからはそういったことがなくなって、ノロそのものがそこにはいなくなったんですね。
- 母のね、おばさんに当たる人。要するに、そこで生まれてるんですが、そのおばさんに当たる人がノロとして、どっかで、そのノロの仕事をしておったみたいですが、しかし、そんなのは、もうほとんどなくなってました。私が気がつくころは。
- まあ、ヌンドゥンチというところはそういうことで。だから、えーと、まあ、うちも大きいしですね、それから財産もかなりあったんですね。それで私は、よく田んぼを耕したり、畑を耕したりしたんですが、まあ下手くそでしょう。街から来るわけですから、とても下手くそでね。いつも人の、あの、友達や、その、いとこ兄のほうにお世話になったんですが、まあ、そんなとこでした。
- で、そのヌンドゥンチのあるところがですね、に、山田城址というのがあるんですよ。したがってそこはね、昔は、あの、城下町だったんですね。で、いま行ったら、1軒もうちがないんですが、1軒もうちがないんですが、昔はそこは城下町で、ぽつりぽつり、私が覚えてる範囲でも、そのし、このヌンドゥンチのし、を中心にして、その辺に、5、6軒かな、7、8軒かありました。で、いまはもう、あの、全部道の、道路のそばに、あの、移動して、そこに1軒もなくなってます。この写真が、こういう、このヌンドゥンチのうちになりますね。
- この写真の横、右横のほうに石垣が積まれてまして、前も当然石垣積まれてまして、そこの、に、でえんとこう、大きなうちが建っておったんですが、その石垣の横のほう。
- 横のほうから馬車が1台通れるぐらいの道があって、えー、そこに、要するに防空壕を掘ってあったんです。まあ、緊急の場合ですね。ずっと隠れるというわけじゃなくして、急に隠れなきゃならんというときには、そこの防空壕に入ると。ちっちゃな防空壕でしたけども。
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