沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

4.再び山田国民学校へ


戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

4.再び山田国民学校へ
(1)山田国民学校

仲本先生
そのころは当然、あの、前の泊小学校というのも、と、泊国民学校ですね。それから、いまの山田小学校というのも山田国民学校ですね。そこに行ったんです。そこに行きますとね、まあ友達が、前の友達がたくさんいますんで、また楽しく草を刈ったりね、あの、遊んでおった。
ところが、そこの学校も、兵隊が兵舎として使ってる。と、子どもたちはやっぱり、事務所あたりで勉強してるんです。で、その代わり、そんなに勉強するんじゃなくしてね、もっこを担いでね、あの、壕掘り、壕掘りの手伝いをして、あの、してるんですよ。土を出したりね。
それから、かまを持っていってね、あの枠木ありますよね。防空壕を支えるね。これの皮はぎ。皮をはいだりね、そういった仕事を私たちはやっていました。そんなことで、あんまりこう、勉強というものはやってなかったんですが。
そしてね、その山田の部落には、二つの部隊が駐屯していたんです。山部隊というのと、球(たま)部隊。二つの部隊が駐屯しておって、別々にこう、兵舎を構えておったんですが。
この山部隊はね、私たちがよく行く壕掘りとか、そういったあの、土を、運搬だとか、そういったとこ。あるいは松、松の木を、木の皮をはいだりね、そういったところで親しいんですよ。で、仕事もよく分かる。ああ、この人たちはこんな仕事をしてると。壕掘りをしてると。ところが、その球部隊というのは分からないんですね。何をしておったのか。すぐすぐ隣近所に住んでるんですが分からない。
で、山部隊の人たちは、ものすごく親切でね。だいたい北海道や、東北の人が多かったんですが、えー、かわいがってくれたんです。子どもをね。それから、うちに来て、よく「おばあちゃん、お芋ちょうだい」って言って、その、お芋をもらいに来たりしてたんですよ。

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