沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

4.再び山田国民学校へ


戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

4.再び山田国民学校へ
(4)昭和20年10月10日の空襲

仲本先生
それからですね、えー、まあ、いわゆる昭和20年の10月10日の空襲になります。それまではね、警戒警報とかありましたけれども、空襲というのはないんですよ。おき、あの、私たちの近辺ではね。要するに、沖縄本島にはなかったと思います。
ないんだけども、この朝ね、弁当のおかずをつくっておったんです。弁当のおかずといってもね、あの、油味噌。あの、野菜かなんか入れて、油で味噌をいためてね、こう。それをちょっと、その、イモの、サツマイモのこの隣にくっつけて、くびって行くんですよ、学校。サツマイモ、だいたい三つぐらいかな。三つぐらい、その、おかずになる、このこうちっちゃいの、木の葉っぱになんかに入れてね。こうして担いで、よく学校へ行ったんですが、それつくっておったんですよ。
そしたらね、上のほうでベーンと、その大きな音がして、たくさんの飛行機らしいのが、ブルンとこう、何か急降下してるみたい。それで何だろうと出てみたらね、急降下していくんです。たくさんの飛行機が。これが読谷飛行場に行くんですね。
それで、あら、今日演習だというのでね、急いで屋根の上に駆け上がったんですよ。そして屋根の上から見ておりましたら、真っ黒い煙がボーンと出てきたんですよ。要するに、やっぱり、おかしいな、演習だど、だのにということで思っておったら、それがほんとに空襲だったんですね。
そのうちに兵隊さんが、「空襲だよ。隠れろ。避難しろ」という、こう、回って歩いたんです。それからびっくりして、あの、避難壕に行ったんですが。まあ、ちょうどそのヌンドゥンチ(祝女殿)の、あの、後ろのほうに、えー、避難壕を、ちょ、ちょっとした穴を掘ってあったんですよ。そのまあ、そこにみんなで走って隠れたんですが。
えー、そのころはですね、山田というところはほとんど攻撃されてないんです。あの、仲泊と山田の中間に、あの、いま、何とかいうホテルが建っていますね。えー、リザンシーですか。そこのところにね、あの、突堤を出して、あの、桟橋にしてあったんですね。そうすると、そこだけはちょっと攻撃されたんです。そこに船がおったんでしょう。で、そこだけが攻撃されて。
それから、こう下がっていきますとね、その、私たちのその山田の村から、こう、読谷に向かって、こう飛行機が下がって、こう、こう、急降下していくんですが、ちょうどその山田の、山田城址があるんですよ。
その山田城址の横のほうに穴が開いとって、そこに、あの、遊軍の兵隊が機関銃を据えてる。機関銃を据えとって、ここを来るときに、ここの機関銃でバババッと撃ってるんですが、何回かそんなことはあったんですが、これはあの、当たったかどうかは、われわれには分からないんですね。

4.(4)昭和20年10月10日の空襲  へ

「沖縄修学旅行おぅらい」は、学校教育利用を目的としたデータを使用しています。
利用の際は、文化庁で示されている「学校教育での自由利用」を守って利用してください。
Copyright(C) 2011 Gifu Women's University. All rights reserved.

【参考資料】

※資料随時追加予定