戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
4.再び山田国民学校へ (3)対馬丸が沈んだ噂
- 仲本先生
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そして、そのころ那覇から、え、これは叔父に当たるんですが、その子、そのいとこたちを連れて、その山田のヌンドゥンチ(祝女殿内)に来たんですよ。
- そしてその中でね、何か、船が沈んだよと。船が沈んだと。学童疎開の船が沈んだよといううわさが出てるんですよ。で、いまだと対馬丸というんですが、当時は私、対馬丸という名前も知りませんでした。学童疎開船が沈んだということで。
- ところがね、この叔父さんのうち、このいとこのうちの兄さんがおりましてね、この人が対馬丸に乗ったんですよ。と、私も、この兄さんがいるから行く気にもなったんですが、でもあの、けんかしたために行かなかったんですけれどもね。四つ年上の兄さんでしたけども、それに乗ったんで。
- で、私が行かないということになったらね、うちの父はね、「ああ、まあ、やっぱり、危ないみたいだから、途中が危ないから、あんた行くな」といって、何回もその説得に行ったんですよ。行ったんですけど、この子は「いやいや、絶対に行く」と言って。
- 当時はもう、内地に行くということは大変なことですから。あこがれてね。それで、あの、対馬丸に乗っちゃったんですが、結局それで、あの、まあ、帰らぬ人になって、いまは小桜の塔というのがありますね。波之上に、の近くに。まあ、そこに眠っているんですが。
- そのころね、浜辺を歩きますとね、あの、オイルが浮いて。油が。そしてその、たくさんいろんなのが流れ着くんで、特に衣類が流れ着くんですね。と、その衣類はね、全部オイルがくっついて、べちょべちょにくっついて、もう、その、使いものにならない。
- ところがですね、そのいとこの人と一緒に、こう、僕が歩いておったら、浜辺を歩いておったら、マントがあるんですね。昔のほら、大学生あたりが羽織るようなマントがあるでしょう。三角形の。これがあったんですよ。
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