久米村 具志堅以徳氏オーラルヒストリー 具志堅以徳氏
7.学問・社団法人
- 具志堅先生
- 久米の者でも、学問に向かないのは自分で働いて、農業か何か家業につくよりほかないです。
- 聞き手
- そうすると、この村から外へ出ちゃうという形になるわけですか、そういう方は。
- 具志堅先生
- はい。生活を自分で立てなきゃいけないですから。
- 聞き手
- やっぱり、まさに学問のあれですね。
- 具志堅先生
- 幾つまでにどういうふうな学問をして、どの課程を終わらなければ久米の人としての待遇は受けられないわけです。
- 聞き手
- すごい規律ですね。
- 具志堅先生
- 厳しかったらしいです。
- 聞き手
- それなりのプライドもあって、大したものですね。
- 具志堅先生
- 久米の人でも、学問に向かない人たちは、成長すると田舎へ開拓団みたいにして農民になりおったそうです。ただ、昔からの特権はあって、その子孫で学問の道で世に出られるような才能があれば、もとの久米の人に帰れるけれども、親父があまり学問に向かなければ農民で一生を終わらなきゃいけない。そういうような制度だったらしいです、琉球時代は。
- 聞き手
- 大した規律ですね。それはやっぱり子供時代から必死になって勉強しなければついていけませんから。やっぱりそれが何百年と続いたことは大したことだと思いますけどね。ちょっと歴史にないんじゃないですか、何百年もそういう状況が続くというのは。
- 具志堅先生
- そこに独自な文化が生まれたわけじゃないですかね。
- 聞き手
- そういう、中国から渡ってこられてからの、そのときに与えられた仕事がそういう仕事だったということで、ずうっとそのまま。
- 具志堅先生
- 久米の人も、みんながみんないい待遇を受けたわけじゃなくて、学問に向かないのはそれなりで、農業で働かなきゃ食えなかったそうです。
- 聞き手
- 大した規律ですね。それから、久米村で、社団法人にしても、こういう会をおつくりになったのはいつごろからですか。これはずうっと江戸時代から続いてきた……。
- 具志堅先生
- 旧藩時代は首里王府の命令ですが、その後は久米の有志が集まって、こういうような孔子廟の法人組織なんかをつくったわけです。
- 聞き手
- そこではやっぱり昔からの伝統が続いてきておる。
- 具志堅先生
- 昔から受け継いだところの財産を確実に保存するために、そういう法人をつくったわけなんです。
- 聞き手
- それは一つの精神文化を引き継いでくるという発想ですね。
- 具志堅先生
- はい、そうです。
- 聞き手
- そうすると日常というか、一般的には今はどういうことをおやりになっておるんでしょうか。
- 具志堅先生
- どっちかというと儒教的なものです。孔子の教えから外れることは、久米としては不道徳だと。
- 聞き手
- そういうあれがあるわけですね。それでわかりましたですね。孔子の流れというのを非常に強くされておるという、その学問体系も含めた形で、昔からですね。
- 具志堅先生
- 昔から、それが主です。そんな線から外れると、人間でもない、久米の人間ではないということになるわけです。
- 聞き手
- これは厳しいですね。そうですか。そうすると、今の儒教的なことを、ここではいろんなお話をされたり、講座を開かれたりしておるということなんでしょうか。
- 具志堅先生
- 孔子廟では、明倫堂というような孔子と四賢を祀ってあるが、それは普段は学校になるわけです。その学校も、今の制度で言うと初等学校にあったわけですね。
- 聞き手
- 惜しいですね。やっぱりこれはそういう学校をまたつくらないかんですね。逆に今ですね。そういう高等学校以上のものをつくって、これからまたそういう方面に学校の勉強も進もうとしておりますから、そういうことを言っておりますから、それこそそういう方向性というのが出てきてもいいですね。それはすごい話ですね、これは。
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