久米村 具志堅以徳氏オーラルヒストリー 具志堅以徳氏
4.外交記録集・公文書・学校教育
- 聞き手
- そうしますと、ちょっと私、外交記録集というんですか、あれをおつくりいただいていることを考えますと、相当東南アジアを初め、諸国に通じておらないかんですわね。
- 具志堅先生
- それはちゃんと記録がありました。往復文書を集めた控えですね。それがあったんです。
- 聞き手
- そういうものを見て学習が……。
- 具志堅先生
- 様式といいますか、様式になるような公文書をつくって、それを持って旅に出たらしいです。公務に従事したようです。それはどこかにあるんじゃないですかな、図書館かどこかに。
- 聞き手
- そうしますと、特別にそういうものの教育をするというわけではなかったわけですね。
- 具志堅先生
- はい。そうです。自然に教育機関で学校で学めば、それがわかるようになっていたらしいです。
- 聞き手
- 大したものですね。やっぱりそれは家々がそういう流れがあるわけですかね。どうもそんな感じが。こういう分野についてはここだというような、そうですか。
- 具志堅先生
- 考えてみると、今の学校制度のちょっと古いやつかなと思いますが。
- 聞き手
- そうですね。外語大学みたいなものでしょうね。そんなような形で、外語大学と法学部とまぜたような、そうですか。やっぱりある意味では琉球王朝というんですか、ここの一つのかなめみたいな形で、文化の交易のかなめのような形で作用しておったわけですね。
- 具志堅先生
- それに関係してやったのが久米村ですね。 首里、そのほかの町村では和文を勉強するのであって、漢文は勉強していないんです。
- 聞き手
- ほかではそういう和文できたわけですか。
- 具志堅先生
- 久米が漢文中心でしたもんで、そのほかの一般の市町村は和文の学問です。
- 聞き手
- そうしますと、それはずうっと明治の前までは続いてきたということですね。そうすると1868年ごろまで続いてきたということですね。その後はここはどうなったんでしょうか。
- 具志堅先生
- その後は日本の教育制度に従ったわけです。
- 聞き手
- 久米村としては、どういうような職業……。
- 具志堅先生
- 久米村の従来の学校制度は放棄して、大和のものになったわけです、日本風のものになった。日本の制度に従ったわけです。とにかく久米としては、子供たちに学問をさせればいいわけですから。
- 聞き手
- そうしますと、ちょっとよそと違うなあと思いますのは、ある意味では外交的なものとか行政的なものには相当大きな力を及ぼしてきた村だということですけれども……。
- 具志堅先生
- 久米は琉球の外交面の中心地ですから。
- 聞き手
- そういう形ですね。
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