沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
年表

久米村 具志堅以徳氏オーラルヒストリー
(具志堅以徳氏)


久米村 具志堅以徳氏オーラルヒストリー
具志堅以徳氏

2.系譜・外交記録集・遺跡

聞き手
それからずうっとやって、ここの村というんですか、久米村、昔は唐栄と言っておりますが、そのやってこられたことというのは、政治的、行政的な、外交的な記録をおつくりになったというのが、私の聞いている中では一番有名なんですけれども、それはずうっとその間、そういう外交との記録をとどめてこられたという……。
具志堅先生
外交といいますか、系譜というのがあって、それにはただ公用で中国に行ったということぐらいしか書いてないんです。よっぽどのことでなければ、公式記録はないんです。
聞き手
そうすると、外交記録集ですか、今は県の博物館の方にあるようなこともお聞きしましたんですけれども、それはずうっとここでお書きになったということでしょうか。
具志堅先生
各自で書いて、そして首里王府の認める印鑑を押してもらっておるんです。うちなんかは私が持っているんです、金姓は。それによって先祖の功績というものが残るわけです。
聞き手
それはそれぞれのお家にあるということなんですか。
具志堅先生
なくしたところもあるはずです。
聞き手
大したものですね。そうすると、大体今おっしゃったように 600年ほど、たしか外交記録集を始められたのが14世紀か15世紀だと思いますけれども、それから1860年代、70年代で終わっているんですけれども、その間ずうっと今の記録が……。大したものですね、それは。それが 400年ありますから、やっぱり 600年近くの過去の履歴があるという、ちょっとよそにないですね、それは。そういう、どちらかといいますと外交記録とか行政的なお立場で、いろんなここの村というのが沖縄との関係ですね。琉球王朝との関係で保たれたという。なぜそういうことになったんでしょう。
具志堅先生
その記録ですか。
聞き手
いやいや、そういう琉球村というのが存続したという形ですね。
具志堅先生
沖縄の琉球、久米も……。
聞き手
久米村がですね。
具志堅先生
こっちで、琉球からの要請で派遣されて、受け入れる場所をちゃんと地域を提供したらしいんです。そこに屋敷みたいな土地みたいなのがみんなあって、そこに住んでいたらしいんです。琉球王国から与えられたのが久米村の地域ですね。これが中国から来た人たちが入るところと言っているんですが、後に土地の人が入ってきているようです。今の天妃町、久米町ですね。そこが旧藩時代の久米村です。
聞き手
今は何が残っておるんですか。その当時のものというのは、何か残っているものがあるんですか。
具志堅先生
全然、空襲でもうほとんどないですね。戦後の都市計画とかなんとかで崩されてないです。戦後でも、石垣なんか残っていましたけどね、区画整理とかそういうものでみんな取り払われて、ないんです。
聞き手
残念ですね、本当に残しておかなきゃいけないのを。碑か、そういうものもあるんですか、記念碑のようなものは。
具志堅先生
孔子廟の跡ぐらいのものしかないですね。明倫堂というのは昔の久米の学校ですがね。明倫堂のところに孔子廟の跡の碑があるかもしれません。
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【参考資料】

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