梅村騒動は1869(明治2年)、高山町内の火事を発端に飛騨一帯に広がった激しい打ちこわしである。
明治になり、飛騨が高山県となると、県知事として梅村速水(うめむらはやみ)が入国した。
梅村知事は新政府の方針のもと改革を進めたが、この政策に不満を持った民衆は、梅村知事の留守を機に蜂起。
騒動を知った梅村知事は、鎮圧のため高山へ帰ろうとするが民衆に阻止され、負傷するも苗木県(現中津川市)に逃れた。
知事に就任して1年足らずで暴動が起き、罷免、江戸で投獄の身となった梅村は翌年獄中にて病死した。
明治政府が発行した太政官日誌(第21 慶応4年)には、梅村速水が高山県知事に就任したことが記載されている。