沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

6.4月1日米軍上陸


戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

6.4月1日米軍上陸
(4)最初の犠牲者

仲本先生
そして、山田で、まあちょっと話は前後しますけども、山田で一番最初に、その、撃たれて亡くなった人、空襲で亡くなった人がですね、兵隊さんなんですよ。兵隊さんとウマなんですね。で、これは、この、電波探知機はもう、あの、機能しなくなっていましたから。あの、4月1日のころは、3、30日ごろからは機能しなくなって、もうそこは兵隊いなかったと思います。
そうするとそのね、電波探知機のほうから下のほうに、バリバリバリとこうグラマン機が、きず、機銃掃射をしたんですよ。きず、あ、そうしたら、それ、不思議にね、普通だと、あ、当たりそうもないんですが、これにあの兵隊がですね、兵隊とウマ1頭が当たったんですね。そして初めての、この山田での、山田の村での犠牲者が初めてなんです。この兵隊さんなんです。
ところがですね、その4月1日、2日になると、もうそこのアメリカさんは下りてきてますんで、この人を人、あの、片付けてね、埋葬したりすることができないんです。そのままほったらかしてありました。
そうするとね、だんだんだんだん、日がたつにつれて、その、おなかが膨れてね、その、うじがわいて、あの、パンクをしてね、その、やってるんですよ。で、も、ものすごう臭い。うちの、その隠れてる防空壕のほうからも、にも、うんとにおいが来よったんですね。
ところが、アメリカさんはそこをよく、その人の隠れていて、そこの場所なんですよ。一番こう、やぶがひどくてね、みつ、ジャングルみたいになっておって、そこのとこを通るんですが、通るたんびに撃っていくんですよ。この兵隊をね。死んだ兵隊を。腐っているんですが、兵隊を撃っていくんですね。
もうわれわれだと近づけないんですよ。臭くて。ところが、アメリカさんはもう、そ、必ずそこのそばを通って、その、撃ってから行くんですよね。帰りもまた撃ってから帰るんですね。まあ相当、その日本兵というのを憎んだのかなという、いまで考えるとそう思いますけれども。まあ、そんなことをしていましたが。
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【参考資料】

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