沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
10.中国貿易とその影響
- 聞き手1
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けども、先生、どうなんですかね、中国との行き来というのは非常に多かったわけでしょう。
- 宜保先生
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はい。
- 聞き手1
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大体数百年前からですね。特に尚家の関係というのは。
- 宜保先生
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文献的には、昔は平仮名が入っています。古いのはですよ。これはやっぱり大和との交流が結構あって、そしてお坊さんたちが沖縄に来て、沖縄の表現は、やはり日本語の地方語ですから、平仮名で表記が楽なんでしょうね、漢字じゃなくて。だけれども、今度は支配体制が中国をモデルにしてやっていきますと、今度は漢字の表記が多くなっていくんですね。だから、沖縄の古い石碑は、表に平仮名があって、裏側の方に漢字がある。それが逆転しましてね、今度は表に漢字が出て、裏側の方に平仮名という形に変わってきますよ。
- 聞き手1
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それはいつごろなんですか。
- 宜保先生
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漢字に変わったのは 500年ほど前からでしょうね。平仮名はその前からあるようです。
- 聞き手1
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平仮名なんですね。
- 宜保先生
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『おもろさうし』なんかそうですからね。何分日本語ですから、沖縄の言葉も。平仮名で音で写すのが楽なんですよ。
- 聞き手1
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最初は平仮名で来たということ、それから漢字が入り出したということですね。
- 宜保先生
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古文献はおそらく平仮名だっただろうと言われていますね。
- 聞き手1
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そうすると、その行き来というのは相当激しかったものだと私どもは見ておるんですけれども、やっぱりそれの文化の影響も非常に大きなものがあったわけですね。
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