沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
2.エイサーのルーツと袋中上人
- 宜保先生
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というのは、外間先生自体が、もうすべて沖縄の歌謡のもとは『おもろさうし』であるというふうに思い込んでおられるんですね。そして、今度は先生が、エイサーはおもろから発生してきたんだとおっしゃるのは、「エイサーおもろ」というのがおもろの中にありましてね、そして先生は、この「エイサーおもろ」からエイサーは発展してきたんだという説をずっと持っておられますけれども、私は、そうじゃなくて、こういうふうに「盂蘭盆経」という中国のお経が日本に渡ってきて、そしてそれが浄土宗のお坊さんの方で勉強なされて、袋中上人は沖縄に来られて、お盆のときにこういう芸能をやりなさいと。
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そして、そのときに、親の供養は大切であると、あるいは亡くなった人の供養は大切であるということを、この「仲順流れ」というお経で教えられたというふうにして話しましたら、次第に近ごろは新聞の方も、エイサーは念仏踊りであると、そしてお盆の目的は供養であるというふうなことで、ようやく私が説明したことがあるわけですね。だから、私が第一発見者というわけじゃないんですね。山内盛彬という大正のころの有名な沖縄の学者、あの人がもう触れておられまして。
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もう一つは、八重山にアンガマという盆の行事がありましてね。そして、八重山は八重山なりに芸能が発達してやるわけですけれども、歌詞を調べますとそっくり同じなんですよ。それで私は、沖縄の南島史学会という最初の大きな行事があります。そこで、八重山のアンガマと沖縄のエイサーは同じであるというふうなことを言ったら、みんなびっくりしましてね。表現のやり方が少し違うもんですから、だけども根は一緒だと。そして、その八重山のアンガマの言葉も沖縄から向こうに渡ったもので、そういうことをやっているわけですね。
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そしたら今度は、近年になって那覇市の国場というところから、うちの方にも念仏踊りがあるから見てくれというもんですから行ってみたら、全く先ほどの、沖縄のエイサーで今華やかなのがありますね。あれとは全く違った素朴なエイサーを踊っているもんですから、ますます山内盛彬先生と私が主張したことが証明されたということなんですね。現在そういう形です。
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