戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
11.石川難民収容所と終戦 (1)石川難民収容所の状態
- 仲本先生
- そして、まあ、これから石川に行くわけですかでも、石川はですね、まあ普通のテントを張って、米軍用のテントを張って、その中にたくさん押し込められていました。
- そして、何かね、当時のあれを見ますとね、3万6,000とか8,000とかいっていますね。の人間がね、その避難民がそこに。いまだと、ほら、範囲も広くなっていますけれども、あのころはその、石川の、旧石川の部落ですから、そこにもされてるんですね。だから、もうぎゅうぎゅう詰めです。寝るのも、ほんとに座って寝るような感じのあれでしたけども。
- で、毎日のようにこど、あの、死ぬ、死人が出るんですね。で、特に子どもが多かったんですが。でも、いつも、葬式用の、葬式というもんではなくして、もう、死んだ人はただ素手で担いでいくようなもんですね。
- そして、石川の部落の外れに、あの、山があったんですが、そこに埋めてるんですよ。だから、それが誰であるかも全然分からん人も、たくさんいたと思います。そこで、まあ石川の。
- それとね、マラリアがはやったんですね。で、マラリア、はやって、そのマラリアで死ぬ人が多いんですよね。幸いにして私はこれ、それにかからなかったんですが、うちの、要するにヌンドゥンチ(祝女殿内)と一緒ですから、家族とは別れてますよね。
- ヌンドゥンチの人たちは、そのマラリアにかかることはなかったんですが、ほかの人たちはかなりかかって、それで、死んだ人が多かったですね。
- で、だいたい、その、道のそばにいますとね、もう、一日に5、6回か、6回か7回ぐらい、10回ぐらいですかな。運ばれていく人がいました。そして、いまのように泣いてる人もいなければ、もう、ほんとに淡々としてね。表情も。そういうような運び方でした。
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