沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

10.石川難民収容所へ

(1)米兵の態度険悪になる

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戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

10.石川難民収容所へ
(1)米兵の態度険悪になる

仲本先生
そして水ノ江さんは、秋田県でね、警察官で救助隊。ヘリの救助隊の、副隊長さんで。後で私、会いましたけれども。わざわざ。毎年沖縄に来て、30年になると。30年の間にずっと調べて回って、こういうふうなことをやってるんですね。こんな人もいるんですね。
で、沖縄に何月何日から行きますという、あれあの、メールが来たんで、ああ、そんならぜひ会いたいですということでね、お願いしますということで、会っていただいたんです。
まあ、それが、このね、収容所に行くときの、あの煙だった。読谷飛行場のね。この人の調査からすると、かなりの被害を受けていますね。アメリカの飛行機から、ガソリンタンクからね。
少し後戻りしましてね、その山の中での食料事情について、もう少し詳しく話しましょうかな。山の中には、一番最初に申し上げましたように、うちの父などが、その、米などは備蓄するように、穴を掘って山の中に、隠してあったんで、そういったもので間に合ったんですが。
ところがあの、肉類とかですね、こういったのの、はどうしたかというと、当時ね、ブタとかヤギとかウシ、ウマ、たくさん、逃げて歩いとったんですね。
そうすると、若い人たちがそれを捕まえてきて、つぶしてやったんですが、ブタとかニワトリとか、そういったものまではわれわれでもできたんですが、やっぱりね、ウシとかウマとかいうことになりますとね、若い人たちが連れてきて、やっぱりあの、殺していました。で、それをね、塩漬けにして、また、蓄えると。そういうふうな状態でしたね。

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【参考資料】

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