戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
1.昭和13年~15年ごろの生活 (1)旧大里村字平川での生活
- 仲本先生
- まあ、一番面白いのは、どっちかというと、結局ね、そこの稲嶺駅から東風平駅までのバスが1台しかなかったんですね。そうすると1台ということは、その運ちゃんは全部うちのおやじさんなんだよね。道路運ちゃんはね。それで、よくあの、途中で待ち受けて、手を挙げて乗るんですよ。そして一日中、要するにドライブと、しゃれこんでおったんです、おったんですが、そんな感じで、まあ、やったり。
- それから、当時からですね、よくサツマイモを炊いたですね、まあ幼稚園卒業し、幼稚園くらいです。まだ小学校へ上がる時分から、私たちのころでは、あの、何か、薪を集めてきて、それでサツマイモを炊いて、食事にするという、まあ、その辺は手伝っておったということなんでしょう。まあ、そんなことで、わりと幸せに、暮らしとったんじゃないかなと。
- そして、たまにこう那覇に出るんですよ。那覇に出るとき汽車に乗るんですがね、その、大人の人を見てると、汽車が止まらんうちにふっと飛んで、飛び降りて、走ってこう行くんですよね。それをまねしてね。私もそれをまねして、で、ひっくり返って、その、まあ、おやじやおふくろ、それから、うーん、駅員さんを心配さしたこともあります。
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