戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
1.昭和13年~15年ごろの生活 (4)昭和16年4月 山田小学校に転校(二年生)
- 仲本先生
- それから木登りとか。木登りはよくやりましたね。で、たまには折れて落ちたりしましたけれども。まあ、そんなことで、まあ、あの、遊んで。
- で、うち帰るときはこう、ちゃんと落としていくんですよ。顔は、そのね、それは落としていくんですが、叔父は帰ってきて、あ、この野郎、今日は行かなかったなっていうのが分かるわけ。はは。
- そして、今日行かなかったでしょうということで、また怒られて、「よし、手出せ」といって、またやられたりしたんですが。まあ、そんなことを繰り返しながら、小学校1年生と2年の最初のころは、やってました。
- それから、母が、あの、やっぱりね、田舎の生活は難しいんで。子どもをたくさん連れてるんでね。あの、山田に帰ろう、要するに田舎に帰ろう、実家に帰ろうということで、あの、山田に行くんですよ。そして、そこの小学校に転校していきます。山田小学校に。そのころ2年生の、中ごろだったと思いますが。
- そうするとね、あの。ああ、ごめんなさい。その前は、要するに、私がよく、あの、学校をサボった時期はね、要するに1年生、2年生の初めは久茂地小学校。那覇のね、久茂地小学校。
- そっから山田に転校するわけですが、久茂地小学校でも山田小学校でも、友達非常に多くてですね、よくかわいがられたんですよ。
- それと、よくあの、畑仕事。例えば田んぼ耕したり、畑を耕したり、あるいはね、ウシ、ウマの草を刈ったり、そういったことをさせ、やったんですね。すると、自分一人では行けないから、やっぱり友達す、そろってこう、行くわけです。
- そのときに、あの、友達はね、慣れていますんで早いんですよ。草刈ったりね、田んぼ耕したりするの早いんですが、私は、あの、そんなことやったことないから、もう一番遅いわけ。みんなが一緒、この、もう、担げるだけ、こう草を刈りますと、私のはまだこれぐらい。それで、みんなで刈りてくれたりね。
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