沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

1.昭和13年〜15年ごろの生活


戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

1.昭和13年〜15年ごろの生活
(3)父親は名古屋に出稼ぎ 叔父に預けられる

仲本先生
まあ、そんなことをしてたんですが、おやじさんが、うーん、結局、仕事を変わるんです。仕事が変わったために、名古屋へ行くんですね。名古屋に出稼ぎに行くんですが、そのために私たちはまた那覇に出ていって、そして私は叔父に、預けられるんですね。すると、母やきょうだいたちは、また別のとこで暮らしておって、叔父のところではね、その叔父と、その祖母、私と3名で暮らしていたんです。
で、叔父は、と、とても教育熱心で、よくあの、教えてくれたりしたんですが、ちょっとまずいとね、特に成績がまずいと「手を出せ」ってやるんですよ。その手もね、「ここがじゃない、ここじゃ」ということで、裏のほうをたたくんだな。ええ。そして、毎日そこに、その、たたくむちがあるわけじゃないから、「おい、おまえ、むち探してこい」と。ということで、探し、自分で探しに行って、こう打たれるんですが、まあ、そんなこう、暮らしをしていましたよ。
それで、うーん、それでもね、その叔父さんは、普通は遊びに連れていったりして、とても優しい人だったんで、まあ、そのように暮らしていたんですが。
どうしたのかね、学校へ行くのも嫌いなんですよ。ええ。そのころ。で、1年生から2年生の初めにかけてですけれども、あの、学校へ行かないで、いまで言う山学校。要するに学校をサボるわけです。サボったらどうするかというと、私のうちの前に、あの、焼き釜があった。壷屋の。壷屋のが、焼き釜があってですね、そこに、サツマイモを持っていって焼いて食べたりなんかして。それから、冬はあったかいんですね、そこは。うんとあったかいから、まあそこで暮らしたり。
それから、あの、ほかの同級生が帰ってくるころになると、いまのね、あの桜坂の、あの墓地地帯がありますね。そこへ行くんですよ。そこへ行ってね、そこにあのマッコウーという、つぶすとね、紫色のあの、あれが出るのがあります。これを顔に塗ったりしてね。要するに、南洋の原住民だというこ、ことでね、あの、そこで遊んだり。
それから、墓地がありますんで、デレンとこうやりますとね、飛び降りると見えなくなるわけでしょう。そうすると猿飛佐助だ。まあ、そんな遊び方とかね。
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【参考資料】

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