沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
12.現在のエイサーについて
- 聞き手2
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はい。要するに屋慶名の方が。それでね、平敷屋の方がそれを取り入れつつあると、その青年あたりがね。それで、あらあらといって今びっくりしているような感じの話をしていました。
- 宜保先生
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そうそう。芸能はおもしろいところに勝てませんから、派手なところに。そういうことがありますね。
- 聞き手2
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やっぱり平敷屋は、結局、保存会というのはずうっとそのまま伝統を守ろうやと。青年エイサーがありますよね、青年はもう新しいのをどんどん取り入れているという。それでね、なかなか折り合いがつかないらしいんですよ。
- 聞き手1
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先生、勝連はどうなんですか。
- 聞き手2
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勝連はどうなんですかね。
- 宜保先生
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いや、みんなあれですよ、あのチュウブはみんな、戦後まで太鼓は1つか2つぐらいしか使わないんですよ。それが、もう戦後は太鼓が安く手に入るもんだからみんなが持つようになって、ああいうドンドコドンドコ太鼓を打ち飛ばすようになったんでしょうね。もとは簡単な踊りですよ。
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しかし、エイサー大会があったでしょう。あれがもう点数でどんどん評価していったもんだから、派手なものにどんどん変わっていったんですよね。一挙に変わりましたね。私、あの審査委員を5年ぐらいやりましたがね。もうとにかく派手なものが勝ちますから。
- 聞き手2
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私のところは、恩納村の山田というところなんです。その山田のエイサーは大太鼓1つですよね。それから、しめ太鼓が4~5個あって、あとは全部踊りなんですよね。そういったので戦前からそういうことでした。
- 宜保先生
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もう戦前は太鼓1つあればよかったんです。ドンドコドンドコたたいて、三味線弾いてね。それが、安くなるとトイカゴが3つも10も入っていって、みんなで持つようになるんですよね。先生、そんなところで。
- 聞き手1
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ありがとうございました。
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