沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
12.現在のエイサーについて
- 聞き手2
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それと先生、こんな話を聞いたんですが、この前、平敷屋へ行きましたら、その平敷屋のエイサーと、それと隣の屋慶名のエイサーと何か違うとか。そして、そのルーツも違うとか言っておったんですが。山原あたりに近いとか。
- 宜保先生
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屋慶名か平敷屋は名護から習ったと言っていますね。
- 聞き手2
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名護の。要するに、そうして今の平敷屋のが名護の方に吸収されつつあるということで心配しておるんです。
- 宜保先生
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いや、名護のは輪踊りでただ単純なんですよ。エイサーエイサー、ただこれだけだから。しかし、この太鼓踊りはおもしろいでしょう。だから、平敷屋でうんと、このもともとの平敷屋はお金もあるから、手踊りを全部太鼓に変えたわけですよ。太鼓に変えたから、おもしろいから、今後は逆に山原にどんどん行くんですよ、おもしろい芸能が。
- 聞き手2
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そして、山原から屋慶名に来て、そして。
- 宜保先生
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いや、昔は屋慶名に来たって、簡単な念仏踊りが。そして屋慶名がうんとおもしろくして、この山原が習っているわけですよ。一遍が行ったのが、もう一回またおもしろくなったんで。
- 聞き手2
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ちょうど僕の友達がいるんですが、今のエイサーの保存会がありますよね。そこの会長をしている人なんですが、宮城という。この人の話だと、何か屋慶名と違うと。そして、何かこちらは平敷屋は久米村あたりから来たんじゃないか。
- 宜保先生
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久米村じゃないですよ、今のこの辺から広まって。あれ、ヤードに種族が持っていくんですよ。お盆の行事として、エイサーはね。
- 聞き手1
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そして、向こうは名護から来たと。屋慶名は名護から来たし。
- 宜保先生
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特例でしょうね、そういうのはね。
- 聞き手2
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そして、今ね、実は向こうの方がおもしろくなっているらしいんですよ。
- 宜保先生
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名護の方が。
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