沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
6.中国・韓国との交流
- 宜保先生
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ただ、私は、文化の方から言いますと、もちろん中国の方が一番大きいわけですけれども、一時期は韓国をモデルにしていた時期があるんじゃないかと思います。例えば、位牌とかそういう継承のやり方なんか、どうも韓国をモデルにしていることとか、あるいは闘牛とか綱引きとかそういうふうなものを、どうも今から5~600年ほど前は、琉球は中国へ行くよりも韓国の方との交流が非常に深かったと思いますね。
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そして、それはまた沖縄のバイブルみたいな、憲法みたいなものに三韓の衆を集めといって、この三韓ですね、馬韓、辰韓、あのあたりの三韓のすぐれた文化を沖縄は倣ったということがあるんですがね。どうも歴史学者はみんな中国ばかり見ているんですよ。今度は私は、近ごろ全くだれもが手をつけなかった民俗芸能をやっていますと、薩摩の影響も大きいんですよね。これは薩摩が沖縄を支配してからですね。
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支配するためにこういうことをやらなくちゃいかんということで、今、薩摩の方にこれで2回行っていますけれども、下野先生と資料を交換しながらやっていますがね。今のエイサーのように、沖縄で一番盛んな民俗芸能が薩摩から来たというふうなことで今やりたいと思っていますけどね。一種の醍醐味がありますよ。
- 聞き手1
- そうですね。そうすると、やっぱり沖縄もそうですけれども、九州の宮崎県あたりでも韓国の影響がすごく強いですかね。私も、あそこら辺に村所というところがありますけど、そこにずうっと今でも獅子舞とかそういうものが残っておるんですけども、それを見ておりますと、これ韓国の影響が強いのかなという。そして、ある面ではまた中国の影響も強い、あるのかなという。
- 宜保先生
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ですから沖縄の場合も、中国から来たものと韓国から来たものは、中国の研究もし、韓国も研究もしないと、一方的に中国からだけじゃなくて、我々は今後は、沖縄にある芸能をしっかり掌握した上で中国と韓国と大和の方、台湾から来ているのもありますね。
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