沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
6.中国・韓国との交流
- 聞き手1
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先ほど先生がおっしゃっておった中国との交流というのは、ここはものすごく多うございましたから、ところが、ここのちょっと向こうに平泉ってありますね。あそこには中国から渡ってきた踊りがたくさんあるんですね。先生はご存じだと思いますけれども、延年の舞というのがありますね。岐阜の長滝と白山ですね、白山と、あそこはもう残っていませんけれども、そこにはやはり中国から来た舞が歴然と残っているんですよね。この前も見せていただいて、全然私にもわからない言葉があるんですね。話を聞いておりますと、それは物を言っている人たちもわからないと。それは何かといいますと。
- 宜保先生
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中国語ですか。
- 聞き手1
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中国語でもないというんですね。かつてお坊さんが中国大陸へ渡りまして、そして向こうの炉端といいましたけど、炉端で踊っている子供の踊りを、中国へ行ったお坊さんがそのままこちらへ来て、それを踊らせたというんですね。平安前後だと思いますけども。そのままずうっと残ってきている。誰も、インドでもないし、どこの言葉かわからないというんですけどね、それがそのまま歌われておるという。
- 宜保先生
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沖縄も、私たちが復帰の前後まで、打花鼓(ターファークー)という芸能がありますけれども、やっぱり中国のやり方で、辮髪をしてやるんですがね、これがわけのわからない歌をずうっとやるんですよ。そしたら、今から20年ほど前から中国福建省とのつながりが出てきまして、福建省の王耀華という先生をお呼びして、向こうも沖縄の芸能を調べたいということでやったら、沖縄には中国の芸能が記録化されているのがたくさんあるんですよ、歌詞が。
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それがあるもんだから先生にお願いしたら、これは自分の福建省のここあたりで踊られているとおっしゃいましてね。そして、先ほど言いました、「うちはなつづみ(打花鼓)」と書くあれです、これももともとここの華僑の踊りなんですよ。それが中城のどこだったかな、あそこに残っているんですけれども。これをやったら、先生がこれはもう自分がわかるということで、意味のわからない言葉を先生がずうっと整理なさって、そして整理なさったものをまた中国に残っているかということでいろいろやっていますが、結構よくなっていますね。だから国際的に交流があればいいんですよね。
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