沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
4.沖縄の芸能
- 宜保先生
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もういろいろ、沖縄の場合はその全体像がわからなかったんですよ、どこにどんな芸能があるかというのは。ただ、あちこちで芸能が盛んだということだったんで。
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沖縄のそういう芸能のある程度の概要がわかったのは、早稲田大学の本田安次先生が昭和32~3年ごろに沖縄に来られて、しかも、大浜信泉という早稲田大学の総長がおられましたから、この人が、沖縄の芸能というのを、君、一つやってくれということで、2回ですか助成金をもらってですね。本田先生という方は大変執念のある方で、あの身体で沖縄中を真夏にずうっとこうしてごらんになっているんですよ、2回とも。
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ですから、あの人がある程度、八重山にはこういう芸能がある、宮古にはこういう芸能がある、沖縄にはこういう芸能があるということを、ほぼ概要が、今で言いますと7割ぐらいわかりましたですね。その後、また沖縄に文化財に新城徳祐という先生がおりまして、この人は研究者というよりは普通の物知りだったんですけれども、この人がまた珍しい芸能だけをピックアップして育成していったんですね。
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そしてその後、三隅治雄先生が今度は本田先生の後から沖縄の芸能を調査なさって。そのころまではやっぱり8割ぐらいですかね。その後、東間一郎と私と、大城学君と3名で、ほぼ今9割ぐらいは仕上がっているんじゃないかと思います。だから、今は非常に我々がわからない芸能というのはまず少ないです。
- 聞き手1
- それはやっぱり本田安次さんの、私、ご本も15巻ありますからね、全集がありますね。あれも見させていただいたんですけど。
- 宜保先生
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『南島採訪記』というのが、一番そのときのあれですね。私たちも舌を巻いたんですけどね。
- 聞き手1
- たしか、あれは昭和30年代でしょうかね。
- 宜保先生
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はいはい、そうですね、1回来られて。
- 聞き手1
- 立派な仕事をやられたんですけど、ああそうですか。
- 宜保先生
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ですから、沖縄全体の面積とか距離からいいますと、青森から鹿児島に近いわけですから、その島々でみんなは違うもんですからね、我々は全部こうして一人ひとりマークして見るのも。結局私なんか40年ぐらいかかったわけですね。
- 聞き手1
- 大した仕事でしたですね。
- 宜保先生
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それで、今はもう、ようやく東間も私も大城君も、また今度は、じゃあ沖縄の芸能はこういうふうなものだけれども、これはどこと影響があるのかと。沖縄というのはそんなに文化を生産できるところじゃないですからね、貧しい国ですから。
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