首里城の復元と沖縄の文化 高良倉吉氏
4.関連プロジェクト (2)琉球コレクション
- もう一つ大事な問題は、建物の復元とか、建物と建物がつくる建築空間というものはよみがえりつつあります。こだわりを持ってつくっていますから、いろいろな問題点も多少ありますけれども、全体として言えば、いい出来栄えだとわれわれは思っています。
- しかし、これは一種のハードなのです。かつて首里城ではさまざまな生活があって、儀式が行われて、仮設のステージで芸能が踊られたと言いました。1年を通じてさまざまなイベント、行事があります。そこにはさまざまな生活の道具、イベントの道具がたくさんあったのです。そして首里城の周辺、城下町にいる王の家来たちも、たくさんのお宝を持っていたわけです。
- しかし、何が起こったかというと、明治12年の春に首里城から王様がいなくなって、琉球王国はなくなりました。次の日から、みんな生活に困る。どうしたか。みんなは、やがてお宝を売って生活することになるのです。首里城で使われていた道具や、周辺の家来たちのうちのお宝が次々と人手に渡って、それで生活をしていく。そのお宝は全部、県外や国外に流出しました。
- 何がどのように流出したか、いまどこにあるのかという情報が必要です。さまざまな人が協力しました。例えば、ドイツのボン大学のヨーゼフ・クライナー先生たちも、ヨーロッパの琉球コレクションを調査してくれた。県の教育委員会は、アメリカですとか中国にあるコレクションを調査しました。いま世界のあちこちに、どれぐらいの琉球コレクションがあるかという概要は分かります。
- 私も調査しましたけれども、例えばドイツのベルリンに、国立民族学博物館というドイツを代表する博物館があります。そこに行きますと、極めて膨大で、極めて優れた琉球コレクションがあります。明治17年ごろに、ドイツ政府が国家の予算を使って東京経由で買ったコレクションが、いまベルリンにあるのです。首里城から王様が出ていった、わずか5年後のことですよ。ドイツが収集したのです。これがベルリンにあります。すごいコレクションです。
- それから、アメリカの東海岸にセーラムという町がありまして、ピーボディー・エセックス博物館というのがあります。そこに首里城のコレクションがかなり入っています。
- それから逸品は、私も本当に感動したコレクションがボストン美術館にあります。首里城で使われていた、一番最高の技術でつくられた琉球漆器がボストンにあります。それが海外に流出して、いまそこに収蔵されているという状況です。
- その情報を、これまたさまざまな方が調査しましたけれども、さらにもっと細かく調査していく課題が残っています。
- しかし、ある人々はそういう状況に対して、返還運動をしたらどうかとか、ばかなことを言うやつがいる。そうじゃない。ヨーロッパの方々が、アメリカの方々が、そうやって収集してくれたおかげで残ったのです。あれが沖縄にあったら、沖縄戦で全部破壊されています。ですから、実は危険分散してくれたと。
- しかもその方々は、ドイツの例を挙げますと、それを買って収集して、捨てなかった。大切に保存した。ドイツも第一次世界大戦、第二次世界大戦と、大変厳しい思いをしたにもかかわらず、それを保存してくれたのです。いい状態で保存されています。私はベルリンの博物館で見たときに感動しました。こんないい状態で残っているのだと。
- ですから、海外にある、そういう収集し、保存し、危険分散してくれた琉球の遺産を、われわれ沖縄側はその情報を集めて、持っている機関と協力して、今後それをデジタル化して、まさにデジタルミュージアムのようなものをつくっていく課題が、これから求められています。
- つまり、沖縄県内にあるもの、日本の国内にあるもの、海外にあるもの、それが一堂に会するようなミュージアムをつくる。ロケーションはそれぞれの博物館でいいのです。そういったものをつくって、このミュージアムにアクセスすると、琉球のいま残っているすべてを見ることができるというような状況をつくっていくのが、今後の課題だろうと思っています。
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