沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の世界遺産

首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

4.関連プロジェクト


首里城の復元と沖縄の文化
高良倉吉氏

4.関連プロジェクト
(1)首里城公園友の会

最後に、首里城の建物の復元が着々と進んでいるわけですけれども、それをひとにぎりの関係者だけのためにしたくないという思いがあったものですから、まず何をしたかというと、ひと月おきに開かれる首里城研究会という研究会があります。私がその会長をしていますが、要するに首里城にかかわった専門家たちとプラスアルファの人たちが、いまでもそれぞれの問題解決に沿って研究を進めていて、ひと月おきに誰かが研究発表をしてディスカッションをするということもやっています。
それから、最も大事なものは、首里城公園友の会というものをつくりました。会員数が1,200人ぐらいいます。沖縄の県民のみではなく他府県の方々でも、熱心な方が年間2,000円の会費を払って会員になっていただいています。
なぜその会をつくったかというと、首里城を勉強しようといって、子どものための首里城の解説会であるとか、親子向けの解説会であるとか、とにかく復元した首里城をみんなで勉強しようじゃないかということをやっています。
それから、首里城のみが大事なのではなくて、首里城に関連する県内のさまざまな史跡をみんなで訪ねて勉強するという、スタディーツアーを頻繁にやっております。
それから、鹿児島県や他の県も含めて、琉球の歴史や文化と深いかかわりがある地域についても、スタディーツアーを企画してやっています。国外もそうです。そういうお勉強しようというような活動を活発にやっていますし、文化講演会もやっております。
首里城公園友の会は私が事務局長なのですけれども、その中の大事な事業の一つは、実はこの島の一番北のほうの亜熱帯の森に、イヌマキの木を4,000本植えています。友の会の会員が、毎年2回草刈りをして肥料をあげる、育樹祭というイベントをやっています。たくさんの人が参加してくれます。
なぜそんなことをしているかというと、当時、琉球王国で現役だった首里城の建物は、イヌマキが中心的な材だったのです。シロアリが食わない、台風が頻繁に襲ってくる沖縄の風土の中で非常に耐久性の高い木が、実はこのイヌマキという木だったのですね。ですから、琉球王国時代は計画的にイヌマキを植えて育てていまして、それを使ってイヌマキが自給できたのです。
ところが、首里城を復元するときに県内でイヌマキを調べてみたら、ストックが何もない。みんな切った後に植えていないわけです。育てていない。では、首里城復元ではどうしたかというと、結局は県内で調達できずに、鹿児島県、宮崎県、大分県という県外の方々にお願いして、いいですよ、喜んでといって提供していただいて、首里城を復元しました。
50年、100年先に、首里城は当然、大規模な修理が必要になってきます。そのときは県産材を使いたいという思いがありました。そのために、将来のためにイヌマキを4,000本植えて、いまそれを育てていると。いまだいたい3メートル、4メートルぐらいに成長していますけれども、たぶん50年か100年後には立派な木になって、首里城の柱であるとか壁板に使われるような木になってくれると思います。そんなことをやっています。
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【参考資料】

「沖縄の世界遺産」

※資料随時追加予定