5.第二次世界大戦
宥和政策の破綻
1936 ラインラント非武装地帯に進駐
1938 オーストリア併合(同じドイツ民族国家)
1939 ズデーテン地方要求(チェコ東部にドイツ人が多数居住)
  ミュンヘン会談(独・伊・英・仏)でドイツの要求を条件付きで認める
  →条件とは、これ以上の領土要求をしないで、ムッソリーニが仲介
     フランスはドイツに敵対したが、イギリスはあくまで戦争回避のために宥和政策(妥協政策)から承認
     イギリスはヒトラーの野望を見誤っていた
1939 チェコスロバキア全土の併合で、英仏は態度を硬化
1939 ポーランドに領土と権益を要求
1939 ソ連と独ソ不可侵条約を締結する
※ドイツは西部戦線を優先、ソ連は戦争の準備時間を確保するという利害が一致
大戦勃発
1939 ドイツがポーランドに侵入。イギリス・フランスがドイツに宣戦布告→第二次世界大戦勃発
    ※ソ連もポーランド侵入し、ドイツと二分。フィンランド占領
1940 ドイツがフランスに侵入。フランス降伏。(北はドイツが占領、南はヴィシー政権)
    ※ソ連はバルト三国を合併。
1941 ドイツがソ連に侵入
    ※ソ連はあらかじめドイツに備えて日ソ中立条約を締結。
大平洋戦争
1940 フランス領インドシナ北部へ進出
日独伊三国同盟の成立
1941 日米交渉開始したが、難航した
フランス領インドシナ南部へ進駐。アメリカは経済制裁(石油禁輸)実施
1942 12月8真珠湾を奇襲し、太平洋戦争開始
    ※アメリカは宣戦布告を知らされていなかったので「だまし討ち」と批判した
    千数百人の犠牲者がうまれ、「リメンバーパールハーバー」を合言葉に戦意を高めた
1942  東南アジアの広域を占領
大東亜共栄圏→欧米人の支配から解放してアジア民族の協力体制を建設することが目的