戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
13.宮森初等学校時代 (1)学校の様子
- 仲本先生
- 例えばあの、テックスと呼んでおったボードですかな。紙みたいなやつ。これでですね、私はこれぐらいの机をつくったんですよ。座って、こう勉強ができるようにね。これぐらいのをつくって、これを毎日担いで、ま、学校へ行くんですが。いつからかその、これで担ぎながら。
- そしてね、やっぱりあの当時の先生方は、やっぱり集団登校というのを、あ、やっておりましてね、全部集団で、こう行くんですよ。そうすると、その集団で行きながら、班長さんがおって、歌を歌いながら行くんですが、その歌が面白いんですね。
- ここに書いてありますが、「青空仰いで 大きな呼吸 みんなそろって この胸張って いつもいつも クァーシヌ配給マチカンティー」と。お菓子の配給を待ち望んでいるという歌をつくってですね、歌いながら学校へ行くんですね。それで、これは元歌が何だったかは、分かりませんけど、とにかくそういった歌で、学校行きました。
- そして、お菓子の配給があるんで、その日だけは何があっても必ず出席するということですね。で、何か、チョコレートなんかが多かったような気がします。
- そしてその、宮森小学校というのが、結局、2番目の学校に、戦後の、終戦後の2番目の学校ですが、その1番目の学校ですね。いまも、この、城前小学校というのがありましてですね、そこには、教育発祥の地、戦後教育発祥の地という碑が建っております。だから結局、沖縄県で戦後、一番最初の教育を始めたのはこちらだろう、だろうと、と思われます。まあ、そういった碑が建っております。これも写真に載っけてありますけれども、ええ、そんなことですね。
- それから宮森小学校行きましたら、いまみたいな校舎は、ストレートの米軍のテント。それから、机、腰掛けもなしというところでしたんで、まあ、そこで地べたに座って勉強するんですが。
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