戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
12.城前初等学校から宮森初等学校へ (2)終戦の日を知らない
- 仲本先生
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それから、その初代の山内という校長先生。後での話なんですが、石川高校の記念誌に載っていましたけれども、最初はね、みんな危なかったそうです、命が。要するに、日本人なのに米国、米人教育をしてるということでね。
- ちょこちょこ兵隊が山から下りてきよったんですよ。で、その人たちに殺されはせんかということでね、非常に心配したらしいんです。それ、アメリカさんもそれは心配しておったみたいですね。
- そして、私が石川に行ってからも、朝、バラバラバラッとその、銃声がするもんですから行ってみたら、兵隊がやっぱり撃たれてました。だから、山からちょこちょこと、要するに残ってる兵隊たちが下りてきたりしましてね、危ない時期であったんですね。
- そして、石川ではなかったんですが、ほかの収容所ではですね、来て、住民をサルといって殺したところもあるらしいんですね。要するに兵隊が。スパイだということで。だから、こういった兵隊も怖いんですよ。日本兵も。
- まあ、そういった時代に、こういった、あれを始めたのは、すごく偉かったなと。これはアメリカさんも、沖縄の、先生方も。いまでもそう思っています。
- そして10月2、22日。このときはもう終戦ですよね。終戦後ですね。その学校も大きくなって膨張していますから、これを城前小学校、ここに残るもん。まあ、そのときは初等学校といったんですが、そこに残る生徒。それともう一つ、宮森初等学校へ行く人。それから、いか、石川高等学校に行く人。こう、分けて、そこで分校式を行っております。分校式ですね。これが10月の22日ですね。
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