沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
平和への願い

戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー(仲本實氏)

12.城前初等学校から宮森初等学校へ

(1)石川市城前小学校の沿革史によれば

(2)終戦の日を知らない

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戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー
仲本實氏

12.城前初等学校から宮森初等学校へ
(1)石川市城前小学校の沿革史によれば

仲本先生
そこでね、私が、一番最初にその、行った学校が城前小学校というところですね。その城前小学校というのは、あの、戦後教育の発祥の地といって、いまも碑が建ってるんです。戦後教育の発祥の地といってね。
こういった、ほんとにあの、いろんなあの継ぎはぎだらけで、テントとかね、継ぎはぎだらけでつくったような。で、僕のいるころは、まだこんなのもなかったですね。もっと悪い校舎だったと思います。
そして、そのね、そこもその、でき始め、学校の始まりというのは、どういうことだったろうと読むんですが、そこのあの、あれを調べてみました。沿革史を。
と、城前の小学校がですね、5月10日、初代校長山内繁茂(はんも)と言ったんですがね。これはおそらく「はんも」という、ではないと思うんですが、「はんも、はんも」して私ら言ったんですが。
この人がですね、アーレンという海軍大尉より、子どもたちを集めて、幼稚園の子どもたち教育してくれんかと。要するに、これらがもう、ぐれていくのは怖いと。このアメリカさんは、その辺の良識はあったんですね。
で、集めてくれと言ったんですが、実際には4年とかね、集めて、いるうちにね、そのところは4年といっても、僕はいま、例えば5年だと言ったのは、ほんとは6年ですよね。年齢がまちまちなんですよ。年齢がまちまちなんで、結局高学年とかね、それから、え、中学年とか、何か決めたみたいですね。
そして、そこの城前の小学校には、当然私たちみたいな、要するに1年から6年まで、それから、高等科という時代。ちゅう、要するに7年から8年。それから高校。要するに昔、じゃなくして、その戦前、その、中学と女学校とかいた人たちも一緒にいたんです。全部。
ですが、ここには結局、小学校、高等小学校といいましたよね。7年、8年の。それから高校生。要するに旧制中学生と、あの、女学生。こういった人たちが、全部一緒にごった返して入っていたんです。
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【参考資料】

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