戦中・戦後の子どもの視点からのオーラルヒストリー 仲本實氏
7.家族は難民収容所へ (2)家族との別れ
- 仲本先生
- それで、結局、もうわれわれ監視に行かないということになって、それから行きませんでした。また別のとこ行って、あの、家族とは別に逃げてました。昼は、山の中に。
- そうしたら、監視をする人はいないわけですから、結局、その2、3日後に、4、5日だったんですかな、来て、アメリカさんに捕まっちゃった。そのときには間違いなく、こう避難民を集めてるんですね。そのアメリカさんたちは。そして結局、家族全部集めて、その、全部連れていって、この村の中に下りていくわけです。
- 下りていくわけですけれども、そ、その途中でですね、そのヌンドゥンチ(祝女殿内)のおばあちゃん。このおばあちゃんはね、孫二人置いてるわけでしょう。山の中に。僕と、要するにその兄貴とね。
- そうすると、この二人を置いていくのは忍びないから、途中、蛸壺かどっかにぽんと飛んでですね、やり過ごして、そして山の中に来てるんですよ。そこで大きな声でね、私たちを呼んでるんです。
- 何て呼んだかといったら、「マチュー」って感じでね。あの、方言名がね、沖縄ではね、昔はよく本当の名前と、方言の名前、要するにあったんですよ。すると、この兄貴はマチューといったんです。
- 本当はそうじゃないんですけれども。それと私は、あの、あれが、あの、この人たち、あちこちから、ほら、いつも出歩いてるから、別のところで生活してるから、僕の沖縄の名前分からないわけです。だから、ミノルと言っているわけですね。そのまま。
- そうすると、ところがおじ、おばあちゃんだから、ミノルと言えない。ミルルと言うんですよ。だから、「マチューヨー、ミルルーヨー」といって、山の中で大きな声で言ったんですよ。
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