沖縄エイサーの歴史と沖縄の文化 宜保榮治郎氏
1.はじめに
- 聞き手1
- やはり沖縄のエイサーを抜いて、話はできないだろうということになりまして、そして、今のこの人たちもそうですけれども、お生まれになったところから、実際の今の「じゃんがら」という、向こうの念仏踊りですね。
- 宜保先生
- 向こうといいますと福島ですか。
- 聞き手1
- 福島のいわき市の。それから、こちらの方のエイサーを見せていただいたり、仲本先生のおかげで見せていただきまして、それから最後に、今のところはここまで調べてきたわけでございます。京都で亡くなったと言われております。
- 宜保先生
- 檀王法林寺ですね。
- 聞き手1
- そうです。ここら辺のお墓も全部記録にとどめまして、こういうふうになってきておりますわけですけれども、ここで一つ行き当たりましたのが、実際このエイサーというものが、どういう形で、本当に先生のご本を読みますと、やはり袋中上人とのご関係があるような、全体でない一部だと思いますけれども、やはりそこら辺のところがあると思いますもんですから、そこら辺のお話を少しお聞きしておいて、そして、できればそれを私ども、先生の方のお話の記録として、アメリカでは一つのオーラルヒストリーと言っていますけれども、要するにお話しになったのを歴史的に残していこうということで、とどめていこうと思います。
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それについて、こういうような映像を、先生がお話しになったのに対して、こういうふうなら、それだったらこのことかなということで、私の持っておる映像を合わせてみて、そして一つの体系化をしておこうかなと思っておるもんですから、ぜひ、今日、先生の方で、ご本を読みますと、割に先生ははっきりお書きになっておるようですけれども、琉球の国史の方から始まって、どういうふうに伝わってきたかということや、それから、いろんなご説があるようでございますけれども、そこら辺のことも多少含めながら、どんなふうにこれがいったのかということをお話し願えるとありがたいなと思います。
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それからもう1件、最後になりますけれども、できれば、沖縄というのは、私、中国の方ともいろんな調べをやっておるもんですから、中国から来たときの、エイサーとちょっと離れまして、いろんな獅子舞とか、いろんな建築物もそうですけれども、向こうから来ておりますので、そこら辺のお話も少し最後にしていただけると、分けてしていただけるとありがたいと思いますけれども、そんなことで、最初にエイサーの歴史というんですか、そんなことからお話し願えるとありがたいなと。私の方で適当に切りますもんですから、ざっくばらんにお話しいただければいいと思いますけれども、そういうことでお話ししていただければと思いますが。
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