沖縄の伝統文化を学ぶ 大城學氏
3.宮廷芸能について (4)組踊
- 演劇としましては、地方には狂言がございまして、それがずっと継承されてきたのですが、王府のほうでは1719年に「組踊」というものが創作されました。この組踊というのが、実は中国からやってくる冊封使に大変評判なのですね。
- 中国の方々に琉球の言葉で演劇をするわけですから、どのようなテーマを設定しようかというので、ずいぶんと踊奉行とかも悩んだだろうと思います。
- 現在残っております作品の台本を読んでみますと、組踊というのは、儒教の国からやってくる方々ですから、儒教の徳目である忠と孝ですね。主人に忠誠を誓う、あの忠でございます。親孝行の孝であります。これを中心にしまして、あと王府が深くかかわるというところでテーマを設定していると思われます。
- ですから、組踊が1719年に上演されましたら、冊封使に大変評判になるのですね。さすが琉球という国は儒教道徳が徹底しているということで、お褒めにあずかる。意をよくしました王府は、それ以後、中国から冊封使がやってきますと、組踊というものを必ず上演するようになったのですね。1800年代の資料を見ますと、冊封使が琉球に滞在している間に、20番の組踊を見せているということが分かっております。そのようにして組踊というのがつくられていく。
- これはもちろん、舞踊と同じように地方にも伝播していくわけですね。北は国頭村から南は与那国島まで、組踊というのは上演されております。
- そういう組踊がございましたが、それもまた先ほど申し上げました舞踊と一緒で、廃藩置県以後、一般の方々に舞台で鑑賞してもらうのですけれども、だんだん組踊も飽きられてくるのですね。
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