沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の伝統文化

沖縄の伝統文化を学ぶ 大城學氏

3.宮廷芸能について


沖縄の伝統文化を学ぶ
大城學氏

3.宮廷芸能について
(1)宮廷芸能

もう一つは、琉球王朝時代に宮廷で育まれた芸能でございます。1429年に琉球王国ができるわけでございますけれども、琉球王国というのは中国と大変深い関係にございまして、琉球の国王は中国の皇帝が承認するということでございました。
そのために中国から、皇帝の使いの者たち(冊封使)がやってくるわけですね。当時、琉球に開かれておりました港は、福建省の福州でございます。ですから、琉球より南のほうにあるわけですね。
当時はもちろん帆船でございますから、琉球から中国へ行くときには、北風が吹いている、ちょうどこの季節に行くわけでして、中国の方々が琉球へみえるのは春先でございます。南風が吹き始めるころに中国からやってくるわけですね。
琉球の国王の代替わりごとに冊封使がやってくるわけでございますけれども、その使節団は現在分かっているところで、最も多いときに600名余り、少ないときでも400名余りやってまいります。数字を平均しますと500数十名の方々が中国から琉球へ来るということになるわけですけれども、その方々をおもてなしするということで芸能が育まれることになったわけでございます。
先ほど申しましたように、南風が吹き始めるときに琉球へやってきまして、彼らの大きな仕事というのは、前の国王の弔いの儀式をやるのですね。那覇の崇元寺(そうげんじ)というところがございますが、そこでやりまして、日を改めまして首里城の正殿の前の庭、「御庭(うなー)」と申しますけれども、そこで新しい国王の認証式を行うわけです。
大きな任務はこの二つでございまして、それが終わると、もう中国へ引き揚げてもいいのですが、先ほど申しましたように、今度は北風が吹かないと帰れないわけですね。ですから、数カ月琉球に滞在するということになります。
この数百名の方々というのは、もちろん役人もいるわけでございますけれども、さまざまな職業を持っている方々が乗り込んでいるのですね。例えば、琉球の人たちに儒教を教える方々、漢方に優れている方々、織物、焼き物、漆器等々、そういう職人さんも乗っているわけです。料理人も乗っているのですね。そういう技術を持っている方々が沖縄の方々と交流をしまして、彼らの持っている技術を教えるというようなこともやっているわけですね。そういう技術者同士の交流というのも、そのときに図られております。
そればかりで数カ月を過ごすというわけでもございませんで、王府のほうでは芸能でおもてなしをしようということを考えたわけでございます。そのときに育まれた芸能が、今日までずっと継承されているわけですね。
沖縄の芸能というと、あでやかな紅型の衣装を着て、頭に花笠というのをかぶって、手に四つ竹を持ってカチカチと鳴らす踊りをイメージされるだろうと思いますけれども、それも琉球王朝時代に育まれた芸能なのですね。そういうものがずっとございました。
これは廃藩置県以後、沖縄は廃藩置県が明治12年です。1879年が廃藩置県でございますので、それ以後、いわゆるお師匠さんたちによって、この芸能は継承されていくわけでございます。もともと首里城でやっていた芸能ですが、当時、役人たちが地方へ派遣されるときに、その芸能なども持って行って地方で教える。それがまた村の祭りの芸能の中に取り込まれるというようなこともありまして、宮廷芸能というのが民間の芸能にも大変な影響を与えたということがございます。
そのようにして継承されていた芸能が、もう一つあるのだということでございます。
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【参考資料】

「沖縄の伝統文化」

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