(1792-1892) Sussex州のField Place に准男爵の長男として生まれた。幼いときから怪異なものにあこがれる気持ちが強く、さまざまな奇癖とあいまって"mad Shelly" の異名をとった。Eton から Oxford へ入った(1810)が、無神論に関する小冊子を出版したため1年にして放校された。その年(1811)Harriet という少女と Edinburgh に駆落ち結婚。その後二人でDublin にわたり政治活動を行ったが、やがて無政府主義の思想家 William Godwin の家に出入りし始めた Shelly は Mary と正式に結婚し、翌年 Great Marlow で、Keats, Lamb などと交友した。1818年3度目の大陸旅行にのぼり、各地を転々とする間に詩劇 Prometheus Unbound などの傑作を書いた(1819)。1820年から Pisa に居住、翌年 Keats の死をいたみ Adonais を書き、一方友人Williams の妻 Jane に思いを寄せた。1822年 Spezia湾 Lerici海岸で乗っていたヨット"Don Juan"号が転覆し、同乗のWilliams とともに溺死した。(以上参照:『ロマン派詩選』上島建吉注釈、研究社) |
<シェリーの生涯> 準男爵家で国会議員の家の長男として、イングランド南部のサセックスに生まれる。イートン校を 経てオックスフォード大学に入学するも、1811年、『無神論の必要性(The Necessity of Atheism)』と 題するパンフレットを出版して、友人とともに放校にされる。その後、妹の友人であるハリエット・ ウェストブルックと結婚したが、間もなく別居。 1812年、『政治的正義(Political Justice)』の著者ウィリアム・ゴドウィンと知り合ったことから、 自由主義的傾向を強め、『クイーン・マブ(Queen Mab)』をはじめ『イスラムの反乱(The Rebolt of Islam)』、『アドネース(Adoneis)』などの政治色の強い詩を発表した。その半面、ギリシャ神話を 題材にした詩もあり、『解放されたプロメシュース(Prometheus Unbound)』、『アドネース(Adonais)』、 そして『西風に寄せる歌(Ode to the West Wind)』などである。 彼はゴドウィンの娘メアリと結婚し、1818年にイギリスを離れイタリアに移る。この地では、先に 亡命していた詩人バイロンと交友を深め、新しい認識を得て断章詩『人生の勝利(The Trimpth of Life)』を発表した。この詩は後に、20世紀を代表する詩人で、ロマン派嫌いのT.S.エリオットが唯一 賞讃を与えた作品である。 しかし彼は、1822年、友人とヨットで航海していたとき、船が沈没して溺死した。 |
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