(1807-82) メイン州に生まれ、Bowdoin 大学を卒業、36年ハーヴァード大学の近代語近代文学教授となり18年間その職を守った。 "A Psalm of Life" など10篇の抒情詩を収める Voices of the Night (1839)によって詩人としての名をあげ、物語詩 Evangeline (1847)、The Song of Hiawatha(1855) を含むたくさんの詩集を出して、広範な読者を得た。19世紀の末近くまで、アメリカ最高の詩人として世の尊崇を集めた。 |
<ロングフェローの生涯> メイン州ポートランドの弁護士の子として生まれる。ボードン大学を卒業。同期生にはホーソン (N.Hawthorne)がいた。ヨーロッパに二度留学した後に、ハーバード大学教授となる。 ハーバードへ赴任する前の1835年から翌年にかけて、彼は妻やその友人と欧州旅行に出かけ、 その旅先のオランダで、まだ結婚して三年余りの妻メアリーを流産の余病で亡くした。また後には、 二度目の妻ファニーが床に落ちたマッチの火がドレスに引火して焼死(ショック死?)している。 配偶者に関しては不幸続きだったが、ピューリタン的伝統の中に育った彼は、新しい時代の 合理性を併せ持ち、平易な言葉で詩を綴ることで多くの人に読まれる詩を書いた。これらの詩が 次々とベストセラーになったため、彼はハーバード大学教授の地位を退いて印税だけで暮らして いけるほどの人気を誇るようになる。『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish,1858)の物語詩は、刊行の初日だけで一万五千部が売れたという。 |
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