(1830-86) マサチューセッツ州 Amherst の名士の家に生まれ、当時の女性としては最高の教育をうけたが、1850年代、しだいに家の中に姿を隠すようになり(不幸な恋愛など、さまざまな理由が憶測される)、独身のまま生涯を終えた。生前、彼女は7篇の詩を発表したのみだが、強固な自我を厳しい抑制と斬新な発想でうたいあげた作品など、千数百編の詩を書き残しており、いまではアメリカの生んだ最も秀れた詩人の一人に数えられている。 |
<ディキンソンの生涯> マサチューセッツ州アマストに生まれる。父親は弁護士であり、州議会や連邦議会の議員もした 名士だった。また、非常にピューリタン色の強い環境に育った。彼女自身は1840年から47年にかけて アマスト・アカデミーという中等学校に学び、47年から48年にはマウント・ホリヨーク・フィーメイル・ セミナリーという女子専門学校で学んだ。これは当時の女性としては最高の教育であった。 1850年代からは次第に家に閉じこもるようになったが、その原因は定かではない。1874年に 父親が他界した後は、その傾向はさらに強まり、彼女はほとんど誰に知られることも無く詩を書いて いた。 1862年にはある評論家に4篇の詩を送ったが、彼女の期待したような返答は得られなかった。 生前に発表された彼女の詩は、全部で7編のみであったが、彼女の知人たちは彼女の詩に親しみ、 慈しんでいた。そうして彼女は独身のまま、55歳でこの世を去った。ところが死後に大量の原稿が 発見され、妹の尽力によって、1890年、その一部を選んだ『エミリ・ディキンソン詩集("Poems by Emily Dickinson")』が出版されると、思いがけない評判をよんだ。こうして彼女の詩はあいついで 発表されることとなったが、その表現があまりに斬新であったため、編集者が一般向けするようにと、 勝手に改ざんした部分もあったという。 彼女の詩集が原稿通りに発表されたのは1955年に出版された『エミリ・ディキンソン全詩集』 ("The Poems of Emily Dickinson")で、全1775篇を収めた。これによって、彼女はアメリカ文学史の 最高峰に位置づけられる詩人となった。 |
<<Edited by Goto |
このページのトップへ |