朗読ビデオ:MPG11.8MB邦訳 注釈 /// |
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THE DAFFODILS I wandered lonly as a cloud That floats on high o'er vales and hills, When all at once I saw a crowd, A host, of golden daffodils ; Beside the lake, beneath the trees, Fluttering and dancing in the breeze. Continuous as the stars that shine And twinkle on the milky way, They stretched in never-ending line Along the margin of a bay : Ten thousand saw I at a glance, Tossing thier heads in sprightly dance. The waves beside them danced ; but they Out-did the sparkling waves in glee : A poet could not but be gay, In such a jocund company : I gazed― and gazed― but little thought What wealth the show to me had brought : For oft, when on my couch I lie In vacant or in pensive mood, They flash upon that inward eye Which is the bliss of solitude ; And then my heart with pleasure fills, And dances with the daffodils. |
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黄水仙 谷また丘の空高く ひとり漂う雲のごと さまようわれのふと見しは 群れ集いたる黄水仙 湖水のほとり木々の下 風にひらめき踊るなり きらめく星の切れ目なく 連なる銀の河に似て 涯(はて)なく続くその帯は 汀に沿いて延びるなり ひとめ百千(ももち)の花頭 風に吹かれて踊るなり かたえの波もともどもに きらめき躍る嬉しさに 詩人(うたびと)われも心浮き 愉しき仲間に加わりぬ 眺め眺めてその後に 残りし富を悟らざり 時経て寝椅子に身をゆだね つれづれ侘ぶる目の奥に かの花々をひらめくは ひとりある身の冥加なれ すなわち充つる歓びに われ水仙と踊るなり |
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【注釈】 ○ Wordsworthの自然は唐突な形で現れたとき、もっとも強い印象を与える。黄水仙の 大群は、孤独な旅路でいきなり眼前に広がったからこそ脳裏に灼きつくのである。ただし、 Dorothyの日記が語るように、これは事実ではない。それは実際の経験から2年経ったとき、 詩人の「内なる眼」にひらめいた情景であった。(つまりこの詩では終りで言っていることが初めから 存在していた。だから読者は、最後の2行を読みおえるともう一度初めから読み返したくなる)。 一時的な快感は<回想>を通じて、すなわち現実の対象の消滅において、永続的な美感となる ―これがWordsworthの想像力の秘密であり、詩の原理であった。 >>以上参照:『ロマン派詩選』上島建吉解説注釈(研究社) ○ この作品はワーズワスの自然観が見られるもので、ワーズワスの特徴である経験を執筆の 上で回想して書くことで実際に描かれた体験と執筆との非常に長い時間差を持つ。また、体験と 執筆の時間差が一年・二年あり、非常に長いとされている。そのためワーズワスは作品の回想を ほとんど妹ドロシィの日記に書かれた描写に頼りきっている。 注目すべき所は黄水仙の人間化で あり、作品中では、水仙は'Tossing thier heads in sprightly dance'「水仙がひるがえり踊る」と、 まるで人間の様に自らの意志で踊っているように描かれている。また水仙はにぎやかさ、陽気さを 主張しており、その対比として水仙を見る者(作品中ではワーズワス本人であると考えられる)は 孤独やわびしさを主張し、この二つを対照させることで印象をより一層効果的にしている。 そのため水仙の表現も陽気な水仙のみにしている。水仙と見る者の対照は印象だけでなく、 'A host'や'Ten thousand saw I at a glance'のように圧倒的な数を示し、水仙を見る者を単独に することで数も対照させている。 この作品の最初の2行ではasを使い比喩表現をすることで 初めから読者を幻想的な雰囲気へ誘う。また同じasの比喩表現で黄水仙が浮かぶ湖と黄水仙の 集団を銀河と星で表し、作品に空間的広がりを持たせている。 I WANDERED lonly as a cloud /klaud/ ・・・・・・・・・・A That floats on high o'er vales and hills, /hilz/ ・・・・・・・・B When all at once I saw a crowd, /kraud/ ・・・・・・・・・・・A A host, of golden daffodils ; /dæfidilz/・・・・・・・・・・・B Besode the lake, beneath the trees, /ditri:z/ ・・・・・・・・・・C Fluttering and dancing in the breeze. /dibri:z/ ・・・・・・・・・C 四つの段がおのおのこの様に「脚韻」を踏んでいる。 Beside the lake, beneath the trees (一段の五行目) ここでは「頭韻」を踏んでおり、リズムも同じになっている。 一段の二行目「o'er」はoverの'v'を 省略した音節省略である。その行の音節の数を減らすために使用されている。 また、四段の一行目「oft」は'often'の古語。 >>Edited by Kamiya, 2003.July |
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