朗読ビデオ:編集中です。 邦訳 注釈 
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 I celebrate myself, and sing myself

I celebrate myself, and sing myself,
And what I assume you shall assume,
For every atom belonging to me as good belongs to you.

I loafe and invite my soul,
I lean and loafe at my ease observing a spear of summer grass.

My tongue, every atom of my blood, form'd from this soil, this air,
Born here of parents born here from parents same, and their parents the same,
I, now thirty-seven years old in perfect health begin,
Hoping to cease not till death.

Creeds and schools in abeyance,
Retiring back a while sufficed at what they are, but never forgotten,
I harbor for good or bad, I permit to speak at every hazard,
Nature without check with original energy.



 ぼくはぼく自身をたたえ

ぼくはぼく自身をたたえ、ぼく自身をうたう、
ぼくが身につけるものは、君も身につけるがよい、
ぼくに属するいっさいの原子は同じく君にも属するのだから。

ぼくはぶらつき、魂を招く、
ぼくはのんびりともたれ、ぶらつき、夏草のとんがった葉を見つめる。

ぼくの舌、ぼくの血のあらゆる原子は、この土、この空気からできていて、
この地で親から生をうけ、親もまた、そのまた親も同様に生をうけ、
ぼくはいま37歳、申し分なく健康で、出発する、
死の時まで止むことのないように願いながら。

教義や学派はほうっておき、
そのままでよしとして、ただ記憶にとどめながら、しばらくは引き下がり、
ぼくはとにかくかくまってやる、危険をかえりみず語らせてやる、
本然の活力をもった融通無碍のわが本性に。


 【注釈】

● "Leaves of Grass"初版(1855)に収められ、ホイットマンの作品中で最大の
力編となった"Song of Myself"(「ぼく自身の詩」)全52節の第1節。現代人の
自由で孤立した「自己」のヴィジョンを壮麗に展開してみせる詩だが、第1節は
その「自己」の基本的な姿勢をうたう。

2 assume わがものにする。

3 as good = as well. 同様に立派に。

4 loafe = loaf. invite my soul 自分の魂の根源にふれ直すのである。

6 My tongue 以下、意あまって言葉足らずといった感じの、ホイットマン独自の
スタイル。form'd の前にbeing を補って考える。

7 the same (口語)同様に。

10 Creeds...in abeyance 前に Holding を補って考える。「〜を宙ぶらりん状態に
ほうっておいて」。当時、南北戦争が迫り、さまざまな教義や学派が争そって
いたが、ホイットマンはそれに背を向け、人間の自然な本性(Nature)の再建を
志した。

11 never forgotten  前に leaving them を補って考える。

12 horbor いろんな解釈がなされているが、最も普通の「避難所を与える」
「かくまう」の意味にとっておく。

13 Nature... 前行の horbor と permit との目的語。

>>以上参照:『アメリカ名詩選』亀井俊介・川本皓嗣編(岩波文庫)



○1855年7月に出版された詩集『草の葉』(Leaves of Grass)に収められた十二篇の
詩の中のひとつである。ホイットマンは『草の葉』の序文のなかで、従来の形式的な
詩のあり方に疑問を投げかけ、詩とはシンプルで且つ「超越的(transcendent)」である
べきだと主張した。

○詩の主体となっている「私自身」は、作者個人であると同時に、詩的本性をもった
アメリカという国の集約である。それを讃美し謳うことによって、作者はデモクラシーの
本質ともいえる自我と平等とを、誇りを持って築き上げる。「わたし」自身が自己を
主張できるということは、つまり「あなた」も主張できるのである。アメリカ人にとっての
自己主張は決して一方的なものではなく、常に相手側の主張あってのものだ。

>>Edited by Goto, 2004.Oct
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